3-1)15年ぶりの訪問
- いのきち
- 3 日前
- 読了時間: 5分

月曜日の新聞の地方欄の隅に、益岡の母校での自殺の記事が載っていた。彼の妻がそれを見つけ、彼に見せてくれた。彼はその記事を横目で見ながら、母校の文化祭の校門の映った写真を見た。大きなくすのきと、その足元に高さ5mくらいのお城のモニュメントが建っている。
文化祭か、と思う。彼の時は、くすのきの下に作ったのは、地元の市のゆるキャラのモニュメントで、市長やら副市長やらがやってきて応援してくれたり、隣の市のゆるキャラがやってきて、何やら悪戯をしたりして、ちょっとした話題になった。彼はそのモニュメントの作成の中心者の1人だった。
月曜日は彼の職場は休みで、妻は朝の支度を整えて7時過ぎに家を出る。
「今日は何してるの?」
「特に何も。天気もいいし、自転車で何処かいくかも」
「じゃあ夜は、最近できた焼き鳥屋さんに行かない?」
「いいよ。もちろん」
「行ってくるね」
「気をつけて」
妻が出かけた後は、朝食のお皿を洗い、洗濯物を干して仕舞えばやることはない。
ベッドに戻り、横になりながらスマホを開く。
母校での自殺の件について、Twitterを開いて何か出ていないか調べてみる。思いのほかコメントは少なくて、自殺した人についてはほとんど言及されていなかった。文化祭の後だったので、文化祭の関係者や学校の先生などが、複雑な心境だ、みたいなことと、自殺の原因に心当たりはないけれど、教室に遺書のようなものが残されていたということくらいが得られた情報だった。
そんな記事や文化祭の様子のTwitterを見ていると、久々に高校でも行ってみようかという気持ちになった。すでに卒業して15年が経っている。中に入って何かをするというより、高校の近くまで行って、くすのきを見て、その空気を吸うだけでもいいかな、と思う。
大学を出て10年を超え、結婚をしてから4年、彼にとっては変わらない日々が流れていた。
大手電気小売店に入社し、すでにある店舗の1つの店長格になっている。業種がら決して給料が高いわけではないけれど、周りと比べると早期に責任ある立場になっている。どうしても週末が仕事になってしまって、IT事務職の妻と過ごせる時間がすれ違いがちなのは難点だが、彼女の稼ぎもそこそこで、経済的にはゆとりがあり、2ヶ月に1回程度は有給を合わせて2、3泊の旅行に出かけている。不満をいえばキリがないけれど、どんな状態であろうと不満はあるのもので、程度の問題と考えるならば、とにかく穏やかな日々を送っていた。そして、まだ33歳だ。その気になれば、どんなことでもできる、そんな余裕もまだあった。
スマホを持ったまま一眠りして、10時過ぎになり、外を見れば随分と爽やかな秋晴れで、彼は自転車に乗って高校に向かうプランを実行に移す。白のロードバイクは10万円を超えるもので、彼にしては思い切って買ったものだった。高校時代までは駅伝部で長距離を走っていた彼には、自転車で遠乗りをすることは、風を切る気持ちよさと、適度な下半身のトレーニングにもなり、何もない休日の大きな選択肢だった。
高校までは20キロくらいの道のりがある。時間にすれば1時間近くはかかるだろう。向こうに着いたら、よく言っていたラーメン屋さんに行こうと思う。学生ラーメン3玉450円で出してくれていたお店。さすがにもう学生ではないし、3玉も食べられないけれど、そうして、高校の周りや昔の通学路をひと回りして帰ってくれば、午後も深まっているだろう。洗濯物を取り込んで、シャワーに入って妻と焼き鳥屋さんにいくのを待とう。
高校の近くには江戸時代から続く城下町の街並みがあり、歴史的な価値があるということでその保存活動がなされている。大きな鐘のある建物を左手に見て、市立図書館の前を通り、緑屋の前を過ぎると一際大きなくすのきが見えてくる。あたりには古びた建物が立ち並ぶ中で、ただ1本だけずんとそびえたつ趣になっており、この通りを歩く人は誰もがこの木を見上げていく。そして、ここが歴史ある(県内で2番目に古い)高校で、他の学校とは違った存在なのだということを感じていく。
益田は校門の前に立ち、秋晴れの中、中空から真っ白な光を浴びているくすのきを見上げる。横には、今回の文化祭のモニュメントである地元のお城の解体が始まっていて、その骨組みが見えていてる。学生や先生のような人たちが何やら作業をしている。
くすのきの葉は眩しいほどに反射をしていて、モニュメントの足元と並ぶその幹は、地面に強く突き刺さっている。どこまで深く刺さっているのだろう、どこまで深く根が張っているのだろう。ただ、その幹の左側の奥には赤いコーンが並び、黄色い立ち入り禁止のテープが貼られている。おそらくそこが昨日の自殺の現場なのだろうと思われた。
懐かしいという感傷に浸るほど、彼も十分に高校生時代からは時を経てきた。33歳というのは社会の中堅に差し掛かっており、もう決して若手と言えるレンジではない。まだ子供はいないけれども、いつかは新しい家族もできるだろう。そしてその逆に、まだ健在な彼や妻の両親が衰え、やがて死別を迎える中での様々な出来事もあるだろう。それらの合理的に予想される出来事に対して、目の前の高校生たちのモニュメントと、くすのきの輝きはあまりにも眩しく感じられた。そこには、本来彼にもあったはずの何かがあり、彼が失ってしまったものたちが、まだそこにいるかのような気持ちすらさせてきた。
Comments