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4-2)もう一人の自分:欲望の連鎖

  • 執筆者の写真: いのきち
    いのきち
  • 6月24日
  • 読了時間: 4分

くすのき カバー

 10年前の夏。彼は親友を裏切った。

 武井が益岡に見せた領収書のうち、30万円程度は、彼が自分のために使ったものだった。ゲーム、ゲーム機、服、そしてPCやそれに付属するものなど。彼は、それらを無断で購入し、学校の名前が書かれた領収書をたくさん受け取り、自分の欲望を満たしていた。


 予算がオーバーしていたのは本当だ。しかし、その予算オーバーに、自分が欲しかったものを上乗せしていた。予算オーバーが明確になった時、彼はこの計画を思いついた。少しならば大丈夫だろうと思い、初めはPCのソフトを購入した。2万円程度だった。一度やってみるいとも簡単なことで、彼は4日間で一気に30万円程度の買い物をした。全ては、文化祭実行員用のクレジットカードで購入をした。

 どうせ予算オーバーしているわけで、それについては学校に報告して、そしてなんとかしてもらうしかない。大体毎年多少は予算オーバーになっているということも聞いていた。だから、領収書が揃っていて、しっかりと使い道を説明すれば、自分の使い込みが露見する可能性は極めて小さいだろうと打算していた。そして、おそらくはそれは相当に高い確率でうまくいくように見えた。


 しかし、この事実(自分が使い込んだことは伏せて、全体での予算オーバーであること)を益田に伝えずに、直接先生方に相談するのは憚られた。なんと言ってもこの文化祭は、彼と二人で引っ張ってきた。お金や事務処理などの面倒くさい類のものは益田はノータッチだけれど、それは役割分担というところで、二人がこの文化祭のリーダーであることは誰もが認めている。それに、同じ部活の親友でもある。彼にこの事実を告げずに、勝手に先生に報告すれば、彼は必ず憤慨するだろう。しかも、相当に強く憤慨するだろう。それくらい彼は、まっすぐで、融通が効かず、最高にいいやつだ。


 でも、その言い方は気をつけなければならないと思った。予算オーバーしていることを告げれば然に、どうして事前に相談してくれないんだよ、というだろう。その通りだ、本来は予算オーバーが分かった時に彼に相談しようと思った。しかし、彼の心の中には、益田には知る由もないもう一人の自分がいた。今思えば、その彼は、きっとずっと前からいて、そして、今の自分にもいる、そう思う。

 その、もう一人の自分については、100%の確率で隠さなければならない。そのためには、少し演技をする必要がある。


 

 益田に話し、二人で涙をし拳を交わし、みんなに伝え、校長先生に話に行き、話はそれで終わった。


 校長先生に話をし、大ごとにならないことがわかり、益田にそのことを伝え、彼が小躍りをしている姿を見て、一緒に喜びながら、彼の心の中にいるもう一人の彼はほくそ笑んでいた。武井自身がそのことを感じていた。そして、そう感じていることに対して、武井は自分自身を憎悪をした。憎悪しながら、彼はある種の快感を感じていた。感じないでいられなかった。どうして、どうして、こいつらはこんなに単純なんだ。大人はいつまで子供が素直だと思っているのだ。世界は彼が思うよりもずっと、簡単で価値のないものに見えた。

 こんな世の中、まともに生きている価値などない。少し賢くなり、少し得をして何が悪い。

 武井は、そんな思いが湧いてくる自分に恐怖した。



 それから10年後、彼の前には200万円がある。武井はこれを受け取るような人間ではない。世界は彼をそう認知しているはずだ。しかし、もう一人の彼はそうではない。彼は200万円を手にする。そして、帯をちぎる。


 それ以降、どう話が伝わったのかはわからないけれど、彼の元には毎年実に多くの先生方が訪れるようになった。包んでくる金額も次第に大きくなっていた。そして、駅伝部は地域のトップランナーが入ってくることで、一般で入ってくる生徒のレベルも上がっていき、ついに去年は都大路まであと200m、県大会でもう一息で優勝というところまでやってきた。新聞やスポーツ系のライターなどが頻繁に学校に来て、彼や選手を取材するようにもなった。今年の予選会は、念願の優勝を十分に狙える戦力だと評される、そんな状況になっている。


 周りの人にはわからないが、同時に彼の暮らしぶりも充実をしていった。格好こそジャージ姿のままだけれども、車は中古のホンダから、最新型のレクサスに変わり、家も新築のマンションを購入した。元々部員に対しては、羽振りがいいというか、面倒見がいいというか、どんどんとお金を注ぎ込んでいるところがあったけれども、それが少し豪華になり、周囲からはそれによりより一層「自分のことを顧みずに、生徒のことを大事にしてくれる先生」という評判にもなっていった。

 


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