1-1)緑の季節、初めてのときめき
- いのきち
- 4月16日
- 読了時間: 6分

旧市街のはずれ、駅から20分も歩かないとたどり着かない僕らの高校には、正門に、大きな大きなくすのきが自生している。樹齢は100年を超えると言われている彼は、男子校の2つの校舎の真ん中に立ち、生い茂る葉は、渡り廊下を覆ってしまうほどの雄大さだ。僕らの文化祭は、その葉の先が、ほんの少しだけ、深い緑から明るい緑へと変わっていく時期にやってくる。
ラグビー部の1年生の高田にとって、初めての文化祭は初日から随分と幸運に恵まれた。
ラグビー部では、フランクフルトと焼きそばの出店をだし、さらに校庭では小中学生に向けて、ミニタッチフットのイベントを行っていた。出店はありきたりのものだけれども、タッチフットのイベントは、一昨年のワールドカップでの日本代表の活躍もあり、また、僕らの高校では運動部では最も成績の良い部活ということもあり(と言っても、県でベスト4が最高ではあるけれど)多くの人が集まった。特に小学生の男子からは人気で、地域の小学校の生徒だけでなく、上の兄弟が高校生で、僕らの文化祭に遊びに来ていた人の弟君たちもたくさん集まった。
ラグビー部の上級生は基本的には出店を担当し(旧来の価値観だと、出店の方が人が集まって花形のように思われていた)1、2年生がタッチフットの運営を担当した。高田は説明を受けてボールを持って走ってくる小学生たちを追いかけて、逃げられてしまう役をやっていて、そこで沙織と、4年生の弟に会った。弟君は随分と体ががっしりしていて(相撲をやっている、ということだった)高田は彼がボールを持っているところを追いかけたら、彼は高田に体当たりをしてきて、それで大きく転んでしまった。それを見て慌てて姉である沙織が飛び出してきて、高田にごめんなさいと言い、高田は大丈夫ですと言い、迫力あるあたりの彼女の弟に「ラグビー部に入ろう!」と声をかけた。えへへと照れる彼に
「シンジはとてもそんな勉強できないでしょ!」
と姉がピシャリと言い放つ。僕らの高校は一応、地域内では学力ではトップの公立高校ではあった。
「本当に大丈夫ですか?」
沙織は高田をのぞき込む。高田は少し交わる視線にドキリとする。そして転んでいる自分を立て直さねばと気づく。
「大丈夫。ちょっと勉強すれば」
高田はゆっくりと立ち上がりながら彼のお尻をポンポンと叩く。
「本当ですよ。僕なんて、中学校の時はアホ野球部だったから」
弟に対しての丁寧さと、沙織に対してのぶっきらぼうな感じのコントラストがいい。沙織は少し笑う。
「1年生ですか?」
「え、あ、そう、1年です。あなたは?」
「私も1年です。どこの中学校?」
「隣の市の下谷田中学校」
「私は同じ市の南原中学校。隣じゃない」
ちょうどそのあたりで午前中の部が終了になり、高田は沙織と弟くんと一緒に西校舎の前に引き上げる。そこでは、ラグビー部が用意した冷たい飲み物と、ベンチが数台あって、そのうちの1つに座ってあれこれと話しをする。そんな高田の周りには、ラグビー部の他の1年生の視線が集まる。そして何やらにやにやしながら3人を少し遠巻きに見る。なんだよ、と高田が言う。誰かが宝に何かを言って取り巻きは去っていく。夏の終わりと秋の始まりの合わさった、暑くて爽やかな風が3人を揺らす。
「いつまでいるの、今日は?」
「今日は午前中だけ。また明日の午後来るの。今度は学校の友達とくるからさ。今日はこの子のお守り」
「そっか」
高田はそっと足元を見る。木の葉が数枚舞ってくる。
「明日またくるね。えっと、高田くん、高田くんだよね?」
沙織は白いTシャツに大きく書いてある名前を差していう。
「私は、狩野、狩野沙織。隣の女子校の」
そう言って沙織と弟くんはベンチを立ち上がり、西校舎の脇から校門へと向かう。

1年生たちの中では高田の話で持ちきりだった。
男子校の僕らにとっては、文化祭は、女の子と出会う年に1回のチャンスで、ここを逃せば、塾にでも行かない限りラグビー部の僕らには彼女ができるチャンスがない。みんなそう思って、あれこれ準備をしてきたのだけど、成果を得たのは高田だけに見えた。だから、明日もう一度やってくるという沙織に対して、高田がどうするのか、外野ばかりが盛り上がっていた。
当の高田としては、正直戸惑いがいっぱいだった。
何しろ高田はまだ、女子とは付き合ったことがない。好きだな、と思った子はいる。小学校の時にもいたし、中学校の時にも同級生のある女の子のことがずっと好きだった。だけど、それを何かの形にしたことはない。あるとすれば、授業中に彼女への想いを詩にしたくらいで(どこかへ行ってしまった)もちろんその逆に、誰かから告白をされたり、噂レベルで、誰かが彼女を好きだと言うような話も伝わってこない。そんな中で男子校に入って、なおさら女子との関係は希薄というか、ほぼ0になったところに、突然降ってきたこのチャンスをどうしたらいいのか、見当がつかなかった。
初日の片付けが終わり、18時過ぎに多くの生徒が帰路に着く。もちろん少なくない生徒は明日の準備やら仕込みでそれなりに遅くまで残る。シンクロを行っている水泳部などは、かなり夜遅くまで明日の仕込みをしていて、その威勢の良い声がプールからは聞こえてくる。
高田と僕は部活の1年生が大体帰った後、教室で話をする。1年生は校舎の4階に教室があり、開け放った窓からはくすのきが正面に見える。上から見るくすのきは、黒い枝が緑の海の中を葉脈のように這っている。深い緑の一部は夕方の光を受けて赤みを帯び、小さな風がその上を抜ける。遠くを見ると、薄暮の空があり、近くを見ると深緑の海がある。葉の音は微かにする。だけれど、文化祭後の夕方の喧騒と、夏の終わりの街の声がその音をかき消してよく聞こえない。でも、じっと、じっと耳をそば立てれば聞こえてくる音がある。
「どうするんだよ、お前」
僕は高田の机の前に立つ。
「え、どうって。まあ・・」
高田は窓から外を見ながら消えそうな声でいう。
「お前ならどうする、吉田」
「俺ならいくよ、そりゃ。チャンスだろ間違いなく」
「いくって、付き合おう、っていうってこと?」
「そりゃそうだよ」
「気楽だよな。外野は」
外野呼ばわりは気に入らないけれど、彼の言わんとすることはわからないでもない。僕が逆の立場なら、今日の明日で告白とか、あまりにも軽すぎる気もするし、正直、彼女がどんな人かもわからないし、気の進む話ではない。
「でも、いいよな。羨ましい、っていうのはほんとだぜ」
「ありがとう」
2人で窓の外を見る。よく見ると雲はちぎれちぎれに鱗雲が散らばっていて、少しずつ動いているのがわかる。その動きを僕は追いかける。小さな風が僕たちの教室にもやってくる。
「どう思った、彼女のこと。吉田は」
「俺はかわいいと思ったよ。そんなに近くでは見ていないけど、なんかちょっと気の強そうな感じで」
「いいよね、そういう感じ。僕もその辺がちょっと話しただけなんだけどピピっときて」
「何言ってんだよ。ったく」
「目があった時はさ、正直ビリッとした感じがあったんだよね。やっぱ、理屈より直感、ファーストインプレッションだよな」
僕は呆れてカバンを持つ。
「ぼちぼち行こうぜ。隣の緑屋でものぞいていこう」
高田は手を頭の上で組み、外を見ながら、揺れる葉を見ながら大きく伸びをする。
「よっしゃ。焼きそばでも食べていくか。景気付けに」
「いいね」
コメント