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2-1)神童の失墜と抜け殻

  • 執筆者の写真: いのきち
    いのきち
  • 4月23日
  • 読了時間: 4分

くすのき カバー

 文化祭の喧騒は池内悠にとっては、煩わしさ以外何物でもなかった。


 小さい頃から神童と言われてきた。


 地元の小学校では誰よりも成績は頭抜けてよく、中学受験の塾に4年生から通い始めると、全国のライバルたちにも気後れすることなくテストをこなし、常に10番以内の成績を収めた。特に算数の能力については特別なところがあり、計算や式などを書かずとも、頭の中でほとんどの問題をこなすことができた。IQが高いとか、親が学者とか、家が大金持ちとか、いろんな噂がされた。学校の先生も彼に対しては、腫れ物を触るようなよそよそしい対応しかできなかった。

 理科の授業で、少し下手なことを言おうものならば、彼の持っている理科の知識の方が段違いに上なので、きつい口調で糾弾される。彼の知識には、小学校の普通の担任の先生レベルではまるで太刀打ちできなかった。

 英語についても幼少期から家庭教師のような外国人が来ていて、小学校の半ばには日本語同様に話せるようになっており、中学校に入るとフランス語についても日常会話ができるようになっていた。誰もが、彼は関東でもトップの学校に進学し、きっと東大に行き、学者や国家公務員などになるのだろうと思った。あるいは、大学は海外の大学に行きたい、というようなことを聞いたことがある、とも言われていた。


 しかし、実際のところは、彼は中学受験に失敗してしまい、トップの国立大学附属の中学には進学できなかった。

 理由はシンプルで、2月3日の試験前日にインフルエンザにかかってしまい、別室で受験をさせてもらったものの力を発揮し切ることはできなかった。すでに私立のトップ校には合格していたけれども、彼は自分の家庭環境なども考えて、私立に進学することはためらった。結果、地元の中学校に進学した。

 中学校に入ってからの彼は、相変わらず学力では学年トップではあったけれども、小学校の頃のようなl、誰も寄せ付けない圧倒的なレベルの学力ではなくなってきた。見た目には特に変わったところはないのだけれども、毎回100点だったテストは95点などを取るようになり、数回に1回は、学校で1位を取り損なったりもした。誰もが彼を「成績のいいやつ」と思っていたけれども、もはや彼は神童とは言われなくなっていた。



虚無感


 その理由は周りの人にはわからなかったけれども(特段の関心も払われなかった)、池内自身にはよくわかっていた。


 中学受験の2月2日の夜、2日目の受験を終えた彼は急に高熱を出した。それまで、彼の覚えている限りは特に際立った高熱など出したことがなく、40度近い高熱は彼の意識を混乱させた。体が熱いというより、体の節々が軋み、身体中の体液が熱を帯び、全身の血液が沸き立ち、すべての汗腺から汗が噴き出てきた。

 突然のことに、親も混乱をしてしまい、慌てて救急車を呼んだものの、コールセンターの人から、もう少し様子を見てはどうかと言われた。確かに夜中を過ぎると彼の熱は38度くらいには下がり、一応小康状態に入ったように見えた。解熱剤を与え、頭にも手にも、関節にも保冷剤を当て、必死に熱を下げて、なんとか翌日の第一志望の試験会場には向かったものの、彼は、すでに、普段の集中力を発揮することはできなくなっていた。

 正確にいえば「できなかった」のではない。

 彼は、彼自身のこれまでの集中力、物事を高速で頭の中で処理することが「できなくなっている」ことに、あの高熱を経て、その能力が消えてしまったことを認識した。算数の問題を見て、小括弧の中の計算をし、中括弧の分数の計算をし、それを式の左右で分母を払う計算をし、最後に移項をして答えを出すという処理が、頭の中で1秒もしないでできたのに、もうこの日からはできなくなっていた。そして、1つ1つを紙に書き出して計算をして答えを出すという、普通の取り組みを取り入れることで、彼は普通の人と同じように問題を解くことしか「できなく」なっていた。

 あの高熱の前後で彼の能力には明らかな差ができてしまった。つまりそれは、あの高熱により彼は、何かの能力を失ったということを示唆していたし、池内自身もそのことを実感していた。


 だから、彼にとっては、それ以降の人生は抜け殻だった。


 彼にあった能力は、特殊で、特別で、最高のものだった。誰もが得たいと思い、得ることのできない能力だった。

 しかし、その能力を元々持っていない人は幸せだった。なぜならば、その能力を持っている自分を経験した人は、その能力を失った自分に対して、なんの興味も持てなくなるからだった。人間というのがいかに平凡でつまらないものなのか、それを突きつけられ、絶望するからだった。あまりにも尊い力であったが故に、もはやそれを無くした人生にはなんの価値もないように思えた。


 

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