top of page

2-2)ネットの沼と片思いの監視

  • 執筆者の写真: いのきち
    いのきち
  • 5月1日
  • 読了時間: 5分

くすのき カバー

 中学校生活は彼に何も働きかけてこなかった。


 勉強は難しくはなかったが、それは普通に取り組み、普通に計算し、普通にテストをすることにおいてできているわけで、テストに向けてしっかり勉強をしなければ高得点は取れなくなっていた。部活には入らなかった。運動はそもそも彼の得意とするところではなく、かといって文化部のようなところで人と交わるようなことにも関心はまるで持てなかった。


 当然のごとく彼は、パソコンとインターネットの世界に埋没するようになっていった。池内にはゲームよりも、プログラミングで様々な仕掛けをWEBサイトに作っていくことの方が興味がもて、自分のWEBサイトを作り、JavaScriptを勉強し、いろんな仕掛けを作ったり、ちょっとしたアプリケーションを作ったり、あるいはハッキングの真似事のようなことをしてみたり、年齢が進むとアダルトサイトなどを覗いてみたり、画像加工などをしたり、沼に入り込んでいった。


 中学2年生になると、彼にも思春期が訪れ、学校の中のある女の子に恋をするようになった。彼女は誰もが一目置くタイプのしっかりとした美人で、多くの男子生徒の憧れだった。彼女のどこに惹かれたのかはわからないが、ある時期から、彼は頭から彼女のことを切り離すことができなくなった。学校にいるときはその姿を横目に追い、家に帰ってからはPC上で彼女のことを調べたりした。そうこうしているうちに彼は、ある商店街の監視カメラのハッキングに成功する。その商店街は彼女が住む家の近くで、彼女が通学の行き来に使っている道でもあった。また、カメラのアングルを少し操作すると、彼女の家の方が見えることもわかってきた。


 池内は興奮した。家に帰るとすぐにPCを開き、そのハッキング用のサイトを開き、監視カメラのデータを調べる。朝の7時台には彼女が1人で歩いている姿がある。そのまま接続していると、夕方の18時前に彼女が商店街を友達3人と一緒に歩いていくのが見えた。そのままカメラを操作していくと、商店街の少し先、アーケードを出て2軒ほどの家に彼女は入っていった。そこが彼女の家であることは容易に想像できた。


 それ以来池内は、家にいる限りずっと彼女の家へカメラをむけ、彼女のことを想像した。

 カメラから家の様子を見ることはできない。あくまで家の入り口をみることができるだけだ。しかし彼にとってはそれで十分だった。彼にとっては、それだけで、十分にその性欲を満たすものだった。この映像の向こうに、この門の向こうに彼女がいる。家は2階立て以上のものだろう。一番上は見えないけれど、平屋ではない。彼女の部屋はきっと2階だろう。その部屋で彼女は今何をしているのだろう。夕食を食べたのだろうか、お風呂に入ったのだろうか。24時を回っても、彼女の家の明かりが消えるまでは寝ることができなかった。


 彼にとっては至福の時間だった。


 パソコンの画面の向こうに彼女がいて、その彼女の様子を想像するだけで毎日が充実した。そして、時折、買い物だろうか、彼女が家から出てくるところを目にしようものならば、無上の喜びに包まれた。彼はしばしば、神になったような気分になることがあった。彼女を支配し、彼女を常に見続けているのは自分だけで、彼女をコントロールしているかのような錯覚に陥った。



ネットに閉じこもる少年

 しかし、冬になったある日、商店街のカメラは彼のパソコンからは操作することができなくなった。システムが変わったのか、それともそもそもネット接続をやめたのか。そして時を同じくして、SNS上に「商店街のカメラがハッキングされていた」という情報が見られるようになった。それは、基本的には商店街のシステムの脆弱性を糾弾するものだったが、一部には、「不正アクセスにより一部被害が出ている」というようなコメントもあった。


 池内は自分のPCの中の履歴を急いで消去し、撮り溜めた彼女の写真も全て消した。少なくとも彼は、ハッキングはしているけれども、誰に迷惑をかけたわけではない。彼が何かの批判や調査の対象になるとは思えなかった。しかし、そうせざるをえなかった。そうしない限りは、「自分が彼女のことを覗いていた」という行為を消せないように思えた。いや、逆で、そうすることで、必死に自分の覗き行為を隠そうとした。


 それは誰にも知られるはずのない行為だった。だけれども、彼にはどうしても「誰かが自分のしたことを知っている」という思いを消し去ることができなくなってきた。


 SNS上のこの件の関連情報には全て目を通した。もちろん、直接的に彼に言及しているものはない。当然だ。しかし、「地元の中学生がよく通る道で、中学生を盗撮していた恐れがある」というようなコメントがあると、それが自分のことを指しているような思いに取り憑かれた。まれに、学校の同級生たちがそのハッキング事件の話をしている声が聞こえると、それらは池内のことを糾弾しているかのように聞こえてきた。


 だんだんと彼は学校に行くこと自体が怖くなり、中学3年生になる頃には学校を休みがちになってきた。心配した親は学校に何か問題があるのだと確信をして、学校や教育員会と掛け合い彼を転校させた。転校先では彼は前の学校でのような被害妄想に襲われることは無くなった。その代わり、彼女のいない世界、彼女のいない学校にはなんの興味も持てなくなり、ますますインターネットの世界に引きこもるようになった。

 


Comments

Rated 0 out of 5 stars.
No ratings yet

Add a rating
bottom of page