3-2)文化祭の危機とくすのきの笑い声
- いのきち
- 5月27日
- 読了時間: 10分

高2の文化祭の時、彼は文化祭の実行員を務め、その副委員長となった。駅伝部の取り組みもあったけれども、1年の時の文化祭の様子を見て、体験して、来年は(3年生は受験があるので文化祭の実行員はできない)実行員をやろうと決めていた。実行委員には、彼と彼の中学校時代からの陸上仲間でもある武井も一緒に立候補した。そして、武井が実行委員長を務めた。
文化祭では毎年、くすのきの横、正門の入り口付近に巨大モニュメントを作るのが恒例で、この企画、制作、そして全体のプログラム作りや地域への告知などが実行委員の主な仕事だった。
秋の文化祭が終わって、その3ヶ月後の12月にはすでに来年の実行員が決まり、来年の活動が企画される。
週に2回は定時で集まり、グループラインでは昼夜授業中問わず活発に議論がなされた。
まずはスローガンが決められ、次に文化祭の顔であるモニュメントを何にするかが決められ、春になると各部やクラスの代表と、出し物などの折衝が行われる。
並行して、春になるとパンフレットが制作され、それを持って市役所から商工会議所、地域の小中学校、商店街などをまわる。僕らの高校の文化祭はすでにその回数は100回を超えており、地域にとっても秋の入り口の1つの大きなイベントでもあった。まわればどこからも歓迎され、あれこれ注文をもらったり、激励をもらったり、はたまた応援の差し入れをもらったりした。時に近隣の住民からは活動に対しての苦言、うるさい、ゴミが散乱するなどもいただくこともあったが、それらも含めて、1つ1つの活動は高校2年生の彼らには十分に充実し、刺激的だった。
クラスや部活との折衝では、概ね従来通りのことが多いけれども、そこに新しい取り組みやイベントなどが提案されたり、実行委員サイドからの提案があったり、それらに対して一部は学校の先生からの許可を得るなどの活動が必要だった。ただ、基本的には文化祭の運営に教師が口だしすることは少なく、危険ではないか、法律に反していないかなどだけ適宜チェックや確認が入る程度で、予算管理も含めてほぼ100%が実行員会が中心に動いていた。
益田と武井はその中心に立ち、授業と部活の一部の時間を除いて、高校2年生の前半をほぼ文化祭の活動に注いだ。部活のない日でも学校を出るのは閉門ギリギリの21時までいることが多く、家に帰るのは22時をゆうに回った。親も幾分は心配したが、文化祭の活動について語る彼の逞しさに押され、特に何も言わなくなっていた。
モニュメントを市のゆるキャラとしたことで、この年の文化祭は市をあげてのバックアップがあり、開催の1ヶ月半前から、市内のあちこちや駅などにポスターが貼られ、ローカルテレビ局の取材ががきて、例年にない盛り上がりを感じさせた。いつもは大体2日間の開催で1万5千人くらいの来場者数だったが、この年は2万人は超えるのではないかと言われていた。
夏のお盆休みが終わると、モニュメントの作成がスタートする。大掛かりな制作の部分は9月の学校がスタートする前には概ね完成させておく必要があり、この2週間程度が実行員にとって、最もハードな仕上げの時期になる。
モニュメントの制作には、足場を組んだり大きな角材を使うところなどはプロの業者にお願いもするが、それ以外は基本的には高さ4階建て程度のモニュメントを学生だけで作っていく。当時は毎日4回、細かく色々な方向から携帯で写真を撮り、それを1つ1つチェックしていきながら、美術部が作ってくれた設計図と見比べながら作り込んでいく。夏の終わりのしつこい暑さの続く中で、モニュメントの外側の作業はまだ良かったが、モニュメント内部の作業はすぐに汗でぐっしょりになり、毎日アクエリアスやら炭酸水やらが大量に消費された。
それでも、青い空の下、着々とパーツが組み上がっていくその過程は、1年間かけて組み上げてきた、文化祭という巨大な構築部が組み上がっていく過程の再現のように見え、完成に近づいていくにつれ、8人のメンバーは感傷的になっていく。猫のゆるキャラの、複雑な目の模様の部分を何度も塗り直し塗り直し、ようやく美術部の面々から「オッケーです!」が出た時は、みんなでハイタッチをして喜んだ。
8月30日に一応の完成を見て、あとは電気系の装飾などを残すだけになり、みんなで記念で写真を撮った。
その日の帰りぎわ、益田は武井に呼び止められ、話があると言われる。
なんだろうと思って聞いてみると、ゆるキャラを作るために見積もっていた予算が、途中の作り直しなどにより大きく増えてしまい、100万円近くオーバーしてしまっているのだということを聞かされた。実行委員で経理を主に見ていたのは委員長の武井だった。
益田は、彼が何を言っているのか意味がわからなかった。予算については、「大丈夫だ」としか聞かされてこなかったので、問題なく進んでいるものとばかり思っていた。
「おまえ、それ、どうして今までいわないんだよ」
益田は少し首を傾げながら彼にいう。
「言おうと思ったよ。だけど・・」
「だけどなんだよ、だけど」
武井は下を向く。
「頑張っているお前たち見ていると、ここで、”それはお金がないからできない”と言うことはできなかった。よりいいものを作ろうとしているみんなを見て、それに水を刺すようなことが言えなかった」
益田は天を仰ぐ。その天は例によってくすのきの枝と葉によって覆われている。
「どうすんだよ。これ」
「大丈夫だ。俺がなんとかするから。このくらいの金額なら、うちの親に言えばなんとかしてくれると思う」
武井の家がどのくらいの経済状況なのかはわからない。しかし、おそらく100万円とかそういう程度ならばなんとかなるという目算はあるのだろう。武井は馬鹿じゃない。できもしないことを勝手に言ったりはしない。でも、これはそういう問題じゃない。表紙はお金の問題だけど、中身はお金の問題じゃない。
「どうして、そうなる前に相談してくれないんだよ。どうして俺に言わないんだよ。俺たちは、2人でこの企画を引っ張ってきたんじゃないのかよ。なんでお前だけで問題を抱え込もうとするんだよ」
「俺は納得できない。なんでお前が俺にこんなことを隠しているのか。隠しているということは、そこに何か不正があるんじゃないかとさえ思ってしまえる。全然納得できない」
益田は半歩前に出る。
「わかっている。お前に隠していたわけじゃないんだ。そんなつもりはなかった。気づいたのは8月の20日過ぎで、それ以来毎日、お前に相談しよう、言おうと思っていた」
「だけどさ、みんな、モニュメントの作成のことしか考えてなかっただろ。これを完成させることしか考えてなかっただろ。これまでだってずっとそうだった。予算やお金周りをしっかりケアしてきたのは俺だけだ。最後のこのタイミングになって、お前たちに急にお金がないから、この新しい角材はもう買えない、といは言えなかった」
「毎日思ったよ。ジュースを1万円分も買ってきた領収書を見て、ふざけんな、と何度も言いそうになった。だけど、その都度、ここで壊しちゃいけないんだ、文化祭は俺のものじゃないし、実行委員のものでもない。学校全体、地域全体のものなんだ。だから、誰かが我慢をして、誰かの犠牲で成り立つならば、それでいいんじゃないか、そんなことも思った」
「怖かった。お前が、なんでお金の管理もできないんだよ、と言ってくるのが。それじゃ、このモニュメント完成しないじゃないか、と言われるのが怖かった」
「ふざけるなよ!」
益田は武井のポロシャツの襟を取る。
「お前、お前だけカッコつけるなよ」
掴んだ襟をぐっと握り締める。そして頭を武井の胸に押しつける。
「そんなに俺のこと信用できないかよ。そんなに俺のこと馬鹿だと思っているのかよ。ふざけんなよ。何年付き合ってきたんだよ。何にもわかってねえんだな」
益田は少し自分の目が熱くなってくるの感じる。なんだよ、1人でなんでも抱えやがって。俺たち、本当のパートナーじゃねえのかよ。
大きく息を吸う。目の前のくすのきがかすかに揺れている。夏の夜に、彼らしかいない夜の中で、カサカサと鳴るその葉の音は、少し笑っているように感じられた。
「ごめん」
武井の襟から手を離し、一歩下がる。
「すまない。違うよな。お前が俺らのことかばってくれたんだよな。お前が、この文化祭がきちんと進むように、しっかり舵を取ってくれたんだよな」
「逆の立場だったら俺もそうしたかもしれない。突き進むみんなを、ゴールに向かって突き進む俺らを止められない気がする」
「でもさ、お前が全部被る、お前が全部1人で尻拭いするのは違うだろ。これは、俺ら全員の問題だろ。お前だけがその責任を取るようなことはやめろよ。みんなで責任とろう。8人で分ければ10万ちょっとだ。もっと対応はしやすくなるだろ」
益田は少し伏し目がちに話す。涙を隠していたかもしれない。
「わるい。本当にわるい」
武井の声は消え入りそうだった。
なんだろ。どうしてこんなことで泣けるんだろ。でも、くすのきの下で、17歳の男ふたり向き合い、俯き合いながら、自分の馬鹿さを身につまされながら泣いている。馬鹿なんだよ、しょうがない。馬鹿なんだから、馬鹿らしくしよう。その代わり、馬鹿は馬鹿でも、絶対に、明るい馬鹿になろう。
「なあ、みんなにこのことLINEして明日の朝、校長先生のところに話に行こう。情けないし、みっともないけど、100万円というお金の問題は、僕らだけで対処することではないと思う。俺らが馬鹿でこうなりました、本当にごめんさない、と言いにいこう。怒られるしかないよ。隠しちゃダメだよ、やっぱり」
益田は武井をぐっとみる。武井も顔を上げる。
「そうだな。うん」
何かをぐっと噛み締める。
「ありがとう。そうしよう。すぐにLINEする。明日は朝8時半集合でいいか」
益田は右手を顔の少し前でグーにする。武井もグーを出す。二つの手がくすのきの幹の前で軽く触れる。
次の日の朝に校長先生に事態について話をし、使った領収書や請求書を見せると、大きな声で笑われた。
「予算オーバーじゃないか。社長失格だな、武井くん」
「すいません」
「よし。大丈夫だよ。今年は来場者も多そうだし、100万くらい赤字でも元は取れるだろう。とりあえずこの請求書はもらっておくよ。あと、他にも請求書が来たら庶務に回しておいてくれ」
そう言い残すと、ガハハと笑ってどこかへ消えていった。しょげていた8人はポカンとしてその姿を見送った。その健気な姿に、先生たちがいう。
「予算オーバーなんて毎年なんだよ、ほぼ。大丈夫大丈夫。武井、益田、しっかりしろよ!頼むぞ!」
武井とは大学がそれぞれ分かれてからは全く会わなくなった。彼は学校の先生になっていると聞いているけれどどうしているのか。益田自身は大学は北海道に進学し、そこで天文学を専攻した。ただ、天文は見て楽しむだけにして、普通に東京に戻って就職した。
あの時の涙のことを思う。
なんで涙が出てきたんだろう。あんなに一生懸命だったからだろうか。それとも、武井に対しての友情、あるいは裏切られたという気持ちだろうか、それとも自分に対する不甲斐なさとか、やりきれなさだろうか。
そして、あの時の、くすのきの笑い声を彼はよく思い出す。
熱い、暑苦しい場面だったのに、思い出す時に一番最初に聞こえてくるのは、カサカササワサワという葉っぱたちの囁きで、それがあたかも2人を見て、くすくすと笑っているように感じられたことを。
わからない。でも、確かなことは、こうしてくすのきを見て、その時のことを思うと、彼の中ではまだ、その時に感じた、上腹部の内側、胃の後ろあたりが熱くなって、どうしても涙しそうになる気持ちがまだある。
すでに、その声は大きくはない。けれども、確実に聞こえてくる。だって、こうして今でもちょっと目頭が熱くなる。
きっとこれは、無くしてはいけないもなのだと思う。その声が小さくなっていくならば、その声がまだ聞こえているうちに、その声をもう一度自分の指針にしなければいけない。そんなに時間はないかもしれない。
背筋を伸ばして、もう一度くすのきを見る。小さな風が葉を揺らす。その声はまだ聞こえる。彼は右手を握り胸の前に出し、そこにいるはずの誰かとグータッチをする。
その日の夜、益田は、妻に、今の会社をやめようと思う、そして自分で新しく事業を立ち上げたいと思うと伝えた。
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