4-1)正義と誘惑の狭間で:母校の監督の葛藤
- いのきち

- 6月20日
- 読了時間: 5分

武井はその日、職員室の東側の窓から、益田の姿を見ていた。
母校であるこの学校の教員として赴任して4年目になる。大学では駅伝部に入り箱根を目指した。残念ながら名門校でレギュラーを取るほどにはなれず、4年間給水係を務めた。それでも、箱根の高揚感、駅伝が自分の血を沸き立たせている感覚から目を背けることはできなかった。
駅伝部のコーチや監督をしたい、そう思い高校の教員を志し、1度は採用試験に落ちてしまったものの、2度目で、地元の県の高校の体育教員として採用された。
それから3校目に、自らの出身高校に転任になり、彼は母校の駅伝部の監督を買って出た。買って出るまでもなく、学校側でもそのつもりで、赴任と同時に彼は駅伝部を任された。
元々彼の学校の駅伝部は、県下でもベスト8くらいには入れる強豪校の部類で、大学に行ってから箱根を走ったランナーもここ10年で2名出ている。そのため、この7年くらいは、「文化・スポーツ特別推薦枠」という枠を県から設けられ、ある程度の成績を条件にして、学区内の有望な中学生のランナーを青田買いできるようになっていた。2名だけとはいえ、強い、有望な選手が毎年入ってくるため、部活としてのレベルは常に高いものを維持できるようになり、毎年冬の京都での全国大会の予選では、必ず注目校としてあげられるようになっていた。
武井は、そんな母校の駅伝部の監督に赴任し、大いに意気に感じ、心血を注いで部活を運営し、選手たちを育て上げていった。
赴任して2年目の秋に、彼は高校の入試相談の会場で、近くの中学校のある生徒の親を紹介される。紹介してきたのは、昨年特別推薦で1人生徒をとらせてもらった中学校の校長先生で、今年はぜひこちらの親御さんの子をお願いしたい、ということだった。聞けば、成績は正直かなり厳しくて、基準よりはだいぶ下回っていたが、ランナーとして中学校であげてきた実績は頭抜けていた。今の高校のメンバーの1500mの最高タイムよりも中3の段階ですでに5秒以上速く、中学校の全国大会でも入賞をしていた。
ただ、成績については、9教科の内申点の平均が4.0が基準のところ、オール3にも満たない状況で、県下トップクラスの進学校として、旧制中学からの伝統校としては、どうみてもふさわしくない成績状況だった。
彼は困惑した表情で、紹介元の中学校の校長先生を見る。もちろん、駅伝部としては嬉しいけれど、さすがにこの成績では難しいです、という表情で。加えて、そんなことは校長先生だってわかっているでしょう?という疑問も込める。
「武井先生。とにかく一度、走るところを見にきてもらえませんか。とりあえず、こちらを・・・」
彼は小さいデパートの紙袋を武田に渡す。中には地元の煎餅屋さんの小さな箱が入っている。
「校長先生。こういうのは困ります。知っていますよね?」
「武井先生、勘違いしないでください、これは、去年、彼を推してくれたことのお礼ですので」
彼はそう言ってその袋を武井の手に握らせて、お子さんの親御さんと思しき女性と共に頭を下げて去っていく。
こういう手の売り込み、押し込みのようなことは去年、今年とちょこちょこあった。しかし、基本的には彼は相手にしてこなかった。彼は彼なりに、貴重な2枠をどういう選手に当てていくかには、こだわりを持っていた。
職員室に戻り、その紙袋をもう一度のぞいて見ると、中に白い封筒が入っているのが見えた。彼は何かの犯罪現場を見てしまったかのような恐怖を感じる。
これは、お金が入っているのではないか。
封筒の大きさ、その厚みからして、容易に想像がついた。しかも、その厚みは、数万円というものではなく、明らかに3桁はいくだろうというような厚みであることも見て取れる。
慌てて彼は机の下に紙袋を押し込む。
日曜日の午後の職員室には、学校説明会を終えた後の先生方が数名いる。大体が、休日出勤させられたことについての文句を言いながら、資料の整理を続けている。彼は会場運営の応援に駆り出されていた。
「武井先生」
誰かが彼を呼ぶ。その声に彼は飛び上がりそうになる。
「今日はありがとうございました。本当に。お休みのところすいません。もうあとは大丈夫ですよ」
広報の担当の先生はそう言って彼に頭を下げる。
武井はすっと小さく息を吐く。心拍数はどのくらいだろうか。駅伝のゴール後よりも激しく脈打つ。
紙袋を持って家に帰る。家に帰ってきたところで、どうして持って帰ってきてしまったのか、と思う。すぐに中学校の校長先生に電話をして、怒鳴りつけて紙袋とお金をつき返すべきではなかったのか。
封筒の中には、200万円の現金と、手書きの手紙が2つ入っていた。1つはその筆跡は明らかに女性のものだった。ぜひ高校の駅伝部で使ってほしいこと、勉強についてはきっとしっかり親が面倒を見ること、先生にご迷惑はお掛けしません、というようなことと名前が書いてあった。武井はその名前をすぐにGoogleで検索をしてみると、その子の父親が、ある新興IT企業(いわゆるスタートアップ)の創業者であることがすぐにわかった。端正な顔立ち、細身で早稲田大学出身の彼の記事はネットに溢れていた。彼も学生時代は駅伝部で、箱根を目指していて、自分には叶わなかった夢を、是非とも子供に、というような記事も見つけた。
もう1つの手紙には、中学校の校長先生からのもので、高校へ提出する資料についてはお任せください、という短い言葉が記載されていた。
武井の頭の中が回転する。
こんなことが許されるわけがない。有名人が、学校の校長とぐるになって裏口入学をさせようとしている。それに彼が巻き込まれそうになっている。校長にもIT企業の社長から金がしっかり回っているのだろう。義憤めいたものが彼の心の中に充満する。
しかし。
彼の目の前には200万円があった。
高校の体育教室の給与は、30歳に満たない状況では満足なものではない。独身ではあるけれど、彼は、今の高校の駅伝部のために自腹をはたくだけではなく、決して少なくない借金もしていた。遠征費や、トレーニングの機器、選手に向けた食事など、公立高校の部費では到底賄えない部分については、情熱だけではなく、お金も惜しみなく投下してきた。
郊外の2DK。築30年を超えたアパート、畳の部屋に敷かれた万年布団に、大の字になり目を瞑る。
お金について、楽になりたい。
その思いは彼の心に張り付いたカビのように蔓延っていた。そして、この200万円があれば、そのカビは一掃できる。楽になれる。容易にそのことがわかる。

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