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(1)2回目の別れ

  • 執筆者の写真: いのきち
    いのきち
  • 2月10日
  • 読了時間: 7分

三十歳前後

 仙台駅から歩いて7分程度のところにあるホテルで、彼女からのメールを受け取る。仕事を終え、国分町で軽く餃子を食べてホテルに戻り、シャワーから出たところ。23時を少し回ったところ。

 ”別れよう。もうこの家には帰ってこないで”


 彼女と神楽坂に住んでから2年と少しが経っている。赤城神社の坂の下にある小さなマンション。僕は東北の支社勤務なので、週末だけ東京で彼女と一緒に過ごし、ウイークデイは東北のホテルを転々としている。月曜日の始発で東京駅から仙台へ向かい、土曜日の夜に戻ってくる。


 またか、と思う。衝撃を受けるとか、愕然とするとか、そういう気持ちよりも先に、少し呆れた気持ちになる。


 もちろん心外ではあるのだけど、予感がなかったことでもない。

 彼女がどうやら別の男性と寝ているだろうということは、おおよそ感じていた。何しろ男好きのする彼女だし、平日の全ての日に僕はいないし、週末に帰っても、一緒の時間を過ごすけれども、気持ちの盛り上がりや昂ぶりを感じることは無くなっていた。

 そのうえ、彼女に別れを告げられるのは2度目だ。予感というか、その空気というのは、さすがの鈍感な僕でも感じないということはない。

 セミダブルベッドの、ピシッと伸びた白いシーツの上に大の字になってみる。天井には丸い平べったい電球色の蛍光灯があって、よく見ると、その内側に小さな虫の死骸がいくつか張り付いている。

 家をどしようか、神楽坂にある荷物はどうしようか。

 思ったよりもすぐに、現実的なことが頭の中の多くの部分を占めてくる。

 家については、仙台で借りるしかないだろう。ただ、すぐにというわけにはいかないだろうから、しばらくは週末もホテル暮らしをするしかない。荷物についてはどうだろう。神楽坂に取り行こうか。いちいち彼女が送ってくるとは思えない。これは確認をしてみるしかない。

”・・・荷物はどうする?”

できる限り無造作に、動揺を見せずに返信をしてみる。しかし、彼女からの返信は驚きの速さだった。

”全部捨てておく”

なるほど。もう、僕とは触れたくもない、ということなのだろう。


 まあいいさ。どうせ小さくなりつつあるスーツや、大した値打ちもない私服に、CDと本、そんなところだ。それがなければ、生きていくことができない、あるいは、この先の人生に対して、何が何でも連れていきたい、そのような類のものは1つもない。CDはたくさんあるけれど、どれももうほとんど聴いていない。本は、必要なものはもう一度買えばいい。

 不思議と、彼女を責める気持が起きてこない。

 2年半前、一度目の別れ話の時は大いに取り乱した。

 別れたいというメールを受けると、すぐに社用車を繰り出して東北道を北に向かって爆走した。仙台から盛岡まで1時間半もかからずについた。車に乗っている間、何かをずっと呟いていた。言葉にならない怨嗟の呪いのようなものを。

 そんな僕も、同じ女性に同じようにメール一本で別れを告げられてみると、大いに人間的に成長していることを実感する。


 ホテルの小さな冷蔵庫を開けてみる。昨日のチェックインの際に買った白ワインが1本静かに横たわっている。コルクを慎重に抜いて、ワイングラスはないので、ガラスの普通のコップに8分目まで注ぎ、一気に飲み干す。

 いい冷たさだ。体がしっかりと冷えていく。少し頭がクリアになった気がする。

 どうしてこうなったのか、彼女が誰と付き合っているのか、僕の荷物たちは本当に捨ててしまうのか、考えたいことはたくさんあるけれど、どれもどうでも良い気がしてくる。しかし、彼女には何かを言っておかないといけない。

”わかったよ”

それだけをメールで打ってみる。もっと言いたいことも書きたいこともありそうなものだけど、どうせ何を言っても無駄なこともわかっている。古寺の静かな池の中に、遠くからそっと小石を投げ入れてみる。

”ごめんなさい。でももう無理”

2分30秒くらいの間があった。僕には、その時間量で、彼女の言いたいことがわかったような気がする。その2分30秒のためらいが、僕と彼女の最後の糸が断ち切られるまでの時間だったのだろう。


 現実問題として、家を失うということはなかなかに厳しいことだった。

 まずは、今泊まっている仙台のホテルを延泊しようとしたものの、週末は学会だかコンサートだかがあり既に満室で、結局、仙台では泊まれるところがなくて、隣の福島県の福島市の駅近くにホテルを借りた。そして、無理矢理に月曜日に福島で仕事のアポを入れた。

 いつまでもホテル暮らしというわけにはいかないので、早速次の週末には不動産屋を回ってみる。

 駅から近い、オフィスからも十分に近いところにそれらしい物件を見つけ、内見は2分程度で済ましてすぐに契約をした。ところが、僕には「現住所」がないので、なかなか身元確認に難渋した。結局、会社の上司や、僕の親に確認を取ってもらい、保証人にもなってもらって、なんとか家を借りることができた。その時点で、嫌いな上司に彼女と別れたことが露見してしまった。

”お前の問題だよ、お前の仕事や生活に対する全てがいい加減なんだよ”

上司からはそんなメールが来た。流石に腹が立ったけれど、その時はとにかく、書類に名前を書いてもらうことを承諾してもらうのが先決だったので、それについては何も言わなかった。


 その次の週末に早速入居する。

 レンタカーを借りて近くのホームセンターへいき、ベッド、本棚、テレビと棚、洋服ダンスと仕事机をまとめて購入した。調理器具も最低限必要そうなものを揃えた。20万円近くになったけれど、新しいものに囲まれた部屋に一人でいるのは決して悪い気分ではなかった。新しい、生まれたばかりの家具の匂いというのは、みずみずしい木の香りがしてなんとも言えずよい。

 2日かけて、後輩も使って全てを自分たちで組み立てて、彼らに夜ご飯を大いにご馳走をし、夜の8時くらいに部屋に戻ってくる。4階の部屋には南向きにそこそこ広いベランダがあり、僕はそこに出て仙台の海の方を見る。もちろん仙台の駅あたりから海は見えない。けれど、海に向かって、南側はずいぶん平野が広がっていて、まだらな人工の光が蛍のように点滅する。タバコを取り出して火をつける。

 神楽坂とは違う。

 神楽坂の部屋にはそもそもベランダがない。両隣にもマンションが並んでいる。その代わりに、毎日毎日食べ歩き、飲み歩いても尽くせないくらいのお店があって、それらを丹念にまわっていくのが楽しかった。

 純粋な一人暮らしというのはこの時が初めてだった。

 大学を出るまでは実家から通っていた。社会人になってからは彼女と同棲をしていた。足立区の川の近くやら、世田谷区の繁華街やら、神楽坂やらに住んでみた。一人で暮らしてみたいという気持ちは不思議となかったので、こうして自分の部屋で一人でベランダに立ってみると、少し不安な気持ちになった。自分一人で生活ができるのだろうか、何か不足していることがあるのではないだろうか。その一方で、自分だけの生活ができるということには、何かが起こるのではないかというような、ちょっとした期待感もあった。


 ただ、そんな不安も期待も、現実的には大した問題ではなかった。

 彼女を失おうがそうでなかろうが、9月の後半、第三四半期の締めは迫っており、そして、僕たちの支社は大いに業績が低迷していた。月曜日の早朝から会議があり、すぐに東北中に営業部隊が飛び散り、土曜日の夜の会議にそのみんなが集まり、営業状況の様子を報告しあった。その様子は僕には縄文時代を彷彿させた。マンモスや鹿などを探しに出かけた男たちが、1週間して戻ってくる。そして、あそこにはいなかった、ここにはいたけどどこそこの奴らに横取りされたなどなどと報告しあっている。人間というのは、案外なんの進歩もしていないのかもしれない。

 ともあれ、コンサルティング営業を標榜する僕らの会社は、コンサルタントがにわか知識で営業を取ってくるのが仕事で、コンサルティングをする会社ではなかった。要は、営業会社ということだ。だから、営業成果を上げられなければ、休みも何もあったものではない。死ぬまで獲物を探し続けてくるしかない。

 結局9月は未達で、第3四半期も大幅未達だった僕らの支社は、次の期初の会議で、絶望的な量のノルマを課されることになる。ぼんやり一人暮らしを楽しむような時間的な余裕は全く与えられなかった。

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