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(9)津波後の石巻へ

  • 執筆者の写真: いのきち
    いのきち
  • 3月10日
  • 読了時間: 6分

三十歳前後

 震災後の混乱期を、一人きりではなく二人で過ごすことができたのは、お互いにとってよかったように感じる。

 いずれも立ち上げ期の不安定な事業を抱えている中、その後の1か月程度で起こった様々な出来事が、我々のメンタルに与える影響に対して、一人で乗り切るのはきっと大変だっただろうと思う。毎晩、震災関連のニュースを見ながら、一緒にビールやらワインやらを飲んで、ああでもない、こうでもないと話しているだけでも気が紛れた。


 春が足早に進み、夏に近づくと、だんだんと震災の影響も薄れ、関東ではおおむね通常の生活が戻ってきた。それに伴い、彼女が神楽坂の家に帰ってこない日が多くなってきた。飲み会に行っているとか、友達の家に行っているとか、特段なんの連絡もなかったり。初めは帰ってこないことがとても気になったけれど、次第にそこから生まれる違和感や嫉妬のような感情にも慣れてきた。

 普通ならば、ここで大いに揉めるはずだ。普通のカップルならば。

 大体、家に帰ってこない理由など、おおむね嘘だろう。それをわかっていながらも、それをある意味受け入れられる(もちろん、本音としては受け入れられていない)のは、この手の話が、もう3回目になるからだ。

 前の2回も、同じようなことを繰り返した。

 家に帰ってこない日があり、だんだんその日が増え、言い訳が白々しくなり、そのうち言い訳すらしなくなる。

 人間というのは本当に成長しないのだなと呆れる。彼女に対しても、そして僕自身に対しても。

 彼女の男好きは、ある意味病気か、かようにも僕という人間が男としてだらしないか、実際はその両方が原因なのだろう。そして、僕は僕で、このようなことに対して、きちんと怒れない、厳しく物を言えないというのも、やはり男としは情けなく感じる。


 このお年のお盆に、僕は仙台の親戚の家を訪ね、その足で石巻から女川あたりを回ってきた。彼女も誘っていて、初めは一緒に行く予定だったけれど、もう夏にもなると、彼女は週に3日くらいしか家に帰ってこなくなっており、どちらともなく話は断ち消えていた。


 東北は6年間過ごしたところであり、三陸地方にもたくさん足を運び、昔のクライアントがたくさんいた。叔父の家に泊まり、レンタカーを借り、それらの土地を回っていった。

 まだまだ津波の爪痕が深いままの時期で、このように興味本位に近い形で被災地を回ることには、今が相応しい時期なのかという思いもあったけれど、では一体いつならばいいのかと思えば、それはいつとも言えない。行ける時に行っておくべきだろうと思った。

 石巻には、僕の東北生活の晩年に最も懇意にしていたクライアントの一人がいて、海岸沿いでガソリンスタンドを運営していた。そのガソリンスタンドが津波にまさに飲まれた映像は、震災当日の深夜に見ていた。

 まずは日和山に登り、海を見る。海の方を見る。もちろん、そこには何もなかった。文字通り、何もない。半年前まではそこには多くの人々の営みがあった。学校もあった。しかし、それらはすでに、瓦礫も残骸も取り払われ、ただただ何もない平地として存在している。すでに、悲しみや困難さという風は過ぎ去り、そこには新しい日々へ向かう意志が感じられた。それは、この地域がもともと市街地であるからということもあるだろう。車を走らせると、海岸沿いの工業地域の方は、まだまだ瓦礫の山、津波の爪痕がそのままという一帯も存在していた。

 日和大橋を降りて少しの右手。何度も言ったガソリンスタンドに車をつけてみる。ガソリンスタンドそのものは、その機能はすでに失われている。2回建ての社屋は鉄骨の骨組みと一部のコンクリートだけになっており、給油用のアイランドは失われている。ここがガソリンスタンドだったのだということは、ここがガソリンスタンドだったことを知っている人にしかわからない。

 僕は車を止めて、かつてスタンドだっだ土地の上を歩いてみる。すると、社屋の残骸の左手の壁に、赤いスプレーで何かの文字が書かれているのを見つける。

”オレはここにいる! 大街道西2ー×ー××”

それと、大きな文字で、社長の名前が書かれている。

 あの震災から逃れ、津波が引いた後、自分が手塩にかけて育ててきた事業が、海の藻屑となって流されてしまった後の残骸を見て、立ちすくんだであろう社長の姿を思う。今、僕が見ているのと同じような姿形だっただろう。先代から継いで30年を超える。改築をし、新たな投資をして、地域でも優良なSSに育ててきた。その大事な大事な自分の一部のような存在が瓦礫と化している。当時は、一面瓦礫の山で、ものすごい悪臭が漂っていたとも聞く。

 そんな中、彼は何を思ったのか。何を考えたのか。

 僕は目を閉じて、その時の空気の種類を考えてみる。悔しさか、怒りか、あるいは嘆きか。あるいは悲しさか。

 全部違う気がする。そんな気持ちじゃない。そんな当たり前の感情ではない。


 多分、勇気だ。


 風はいう。海からの風はいう。今なんだ、今こそ、自分が持てる全ての力で、この世界を作り出さなければならない、と。冷たい早春の風は、残酷にも優しく、苛烈にも慈悲深く、そして断固として彼に言う。

 お前しかいない、お前がやるんだ。

 彼も目を閉じる。そこにあったはずのものが見える。そこに積み重ねてきた、たくさんの想い、時間、金、そして人々が見える。でも、それらはすぐに消える。津波のもたらした残像はあまりにも強烈すぎて、すでに彼の頭からたくさんのものを奪い去っていた。彼は頭を振る。

 風が強く吹く。何もかもを吹き飛ばすかのように、残酷に。

 彼は拳を握り、力を込め、そして、堪える。両足を広げ、風を受け止める。寒い、悲しい、冷たい。

 風が彼を押しやろうとする間、彼の頭の中には、ここで働いてたスタッフとその家族たち、そして、ここにきてくれたたくさんのお客さんの顔が流れていた。その顔は、みんな笑っていた。みんな笑顔だった。彼はいつだってたくさんの人たちの笑顔に囲まれていた。新装した社屋が瓦礫になろうが、もうガソリンの出ない設備しかなくとも、二度と再開できない店であったとしても、全部形あるものが消えても、彼らの笑顔は消えない。そう、その笑顔は、今もどこかにある。どこかにいる。

 何もできないかもしれない、でも、オレが笑顔にはなることはできる。嘘でもいい、空元気でもいい、笑って元気を見せることはできる。そうして、オレが笑顔になれば、何人かは、同じように笑顔になって、楽しい馬鹿話をするかもしれない。そして、彼らが少しでも笑顔になれば、彼らの家族も笑顔になるかもしれない。

 風が少しやむ。彼は車からスプレーを取り出す。そして、壁に大きく文字を書く。”オレはここにいる!”と。

 

 僕は社長を訪ねる。大街道のガソリンスタンドへ。社長は、僕をみると、その大きな体で僕に飛びついてくる。

「吉田さん、生きてりゃ最高だよ!よかったよ、生きてて!」

見たことのない笑顔で僕を迎える。スタッフのみんなも大きな声で笑い出す。なんだかその笑顔に、少しだけ涙する。

「おいおい、吉田さん、なんだかべそかいてるよ!」

また一段と大きい笑い声が起こる。

 僕の、人生における、最も素敵な瞬間の1つになった。

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