ジョホールバルと大黒埠頭
- いのきち
- 6 日前
- 読了時間: 10分

グッドモーーーーーーニング トーキョーーーーーー!
イッツ セブン エーエムー!
さあ、時刻は7時を回りましたよー
水曜日の朝は、そう、お待ちかね!
「Viva 90`S 」
氷河期に青春を過ごした最高世代の男女に送る、
青春のレクイエム!ラジオショートストーリー!!
90年代、最高でしょ!!??イエイ!!
最高に熱くてクールな90年代を忘れない。
そんなショートストーリーたちを、
時代を彩り駆け抜けた名曲のリクエストともに送るぜ!
初回は、もちろん、90年代といえばサッカー!
ジョホールバル。覚えているよな、ジョホールバーーール!
岡野!岡野だよ!岡野。
あの夜、あの夜を思い出すんだ!
--FM 81.33 T -WAVE--
「円陣を組んで今散った日本代表は、私にとっては、彼ら、ではありません。これは、私たち、そのものです」
秋も終わりの大塚。辰彦の実家の2階の部屋で、佑美と僕、そして辰彦はテレビの前で肩を組む。時間はすでに24時を回っている。辰彦のお婆さんからは何度も「うるさいよ」と言われてしまった。しかし、僕らを止めることはもうできない。
遠くマレーシアで戦うサッカーの日本代表に、東京の北の外れの小さな家から、その隣の家からも、その隣からも、東京全体から、日本全体が今、エールを送っている。そして祈っている。
僕と辰彦は大学のサッカーサークルの同期で、佑美は2つ下の学年のマネージャーだ。僕と佑美は家が近く、サークルに出かけるときはいつも僕の車で一緒に移動していた。初めはそれだけの関係だったけれど、次第に僕は佑美にひかれるようになっていた。
でも、サークルの幹事長という立場もあり、なかなか彼女と「いい先輩」以上の一線を越えるのはためらい続けていた。そして、佑美が僕にどういう気持ちでいるのはかは、確信を持てるような想像はできなかった。
試合開始の2時間前くらいから辰彦の家に集まり、ビールやらを飲みながら騒いでいた。中山のゴールに立ち上がり、ダエイのゴールと高さに失望し、カズと中山の2枚がえに慄き、城のゴールに声が枯れるほど叫んだ。そして、前後半が終わって同点、ゴールデンゴールの延長戦に向かう頃には、3人ともアドレナリンが噴出していた。
延長開始の前、NHKのアナウンサーの言葉に、3人で自然と肩を組む。
あまりにも興奮していて、僕は、そのとき、佑美に触れたのが初めてだということに気づかなかった。
左が辰彦で、真ん中が佑美、その右に僕。
それまで、何度も彼女に触れたいと思っていた。思っていながらできなかったことが、何の躊躇もなくできている。そのことに気づいたのは、延長がキックオフして2分くらいの後、岡野が最初のチャンスを盛大にはずし、みんなで頭を抱え時、その手を次にどうするか、という時だった。
試合の高揚、岡野により天国から地獄へ落とされたような動揺、そして、彼女に初めて触れたという事実。
1997年11月116日。忘れることのできない日だ。
岡野はその後何度も決定機を外し続けた。その度に僕らは、飛び上がり、地面に這いつくばり、そしてビールを流し込み、次の場面に齧り付いた。
そうして、PK戦が迫る後半13分、中田の捨て身のスライディングシュートを、キーパーがかろうじて弾くと、そこに飛び込んできたのは、またしても岡野だった。
しかし。最後の最後、今度こそ、彼のシュートは、枠を外すことなく、無人のゴールに吸い込まれていった。
その瞬間、僕は人生で1回だけ佑美とハグをした。それも、なかなか強く、長く。
それから1時間くらいのことはよく覚えていない。騒いで、ワインをあけて乾杯して、ついに堪忍袋の緒が切れたお婆さんに厳しく怒られてしゅんとして。そうして、深夜3時くらいになって、ようやく落ち着いて、水をたくさん飲んで。辰彦のお家の方にお詫びをして。
僕と佑美は、夜明け近くの大塚の街に出る。駐車場に向かう道の上には、月のかけらが残っていて、僕は自分の心が疼いていることに気づく。
佑美は僕の少し後ろを歩いている。たまに振り向いてみる。特に話はない。視線を前に戻すと、佑美の視線を後ろに感じる。
連れて帰りたい。だけど。だけど、どうしたらいいのだろう。どう言えばいいのだろう。
だめだ。結局言葉が出てこない。もちろん、手も足も出てこない。
でも。
僕の中にメロディが流れた気がする。
「横浜行かない?」
後ろを向いて、佑美を見る。自分でも何でこんなタイミングで、、と思うけれど、前々から、「みんなで横浜行きたいね」という話は出ていた。
「今から?」
「そう」
「大丈夫なの?」
大丈夫ではない。でも、今日は、このまま眠れない。一人で、闇を見つめていたくはない。
北池袋から首都高に乗る。5号線を上り、中央環状線を通って、湾岸線へ出る。まだ夜は開けない。羽田空港を左に見て、ベイブリッジに差し掛かると、しばらく上り坂だ。
「空の向こうに飛んでいきそう」
助手席の佑美がふと呟く言葉が、胸にスッと染み渡る。
新山下で高速を降りて、山下公園の前に車を止める。そして、横浜の夜を見る。わずかに東の空が白んでくる。
車のボンネットに腰をかけ、僕はタバコを吸い、佑美はコーヒーを飲む。
特に何をしたわけではない。90年代の山下公園は、深夜でも明け方でもたくさんの人がいて、人の声は絶えないし、寄り添うカップルや外国人がたくさんいる。そんな明け方の欲望や、その残骸を見ながら、でも、僕は佑美の方をしっかりと見ることができなかった。
「帰ろうか」
佑美は頷く。
「大黒埠頭によって行きたい」
僕はその言葉に少し驚く。彼女から、どこかに行きたい、というようなリクエストが来ることは滅多になかった。
「もちろんさ」
左右に分かれて車に乗り込み、さっき降りたばかりの高速に乗る。ベイブリッジを120kmで超えていき、大黒埠頭PAにぐるりと回って入っていく。明け方でもパーキングエリアには訳がわからないほどにたくさんの車とバイクがいる。とても朝の6時前とは思えない。
車から降りて、景色の見えるところを探してみるも、車と人ばかりで、それらしいところが見当たらない。建物の中に入り、お互いにトイレに行き、緑茶を1本ずつ買う。
「ここから見える訳じゃないのね」
「何が?」
「あさひ」
ラウンジの向こうの空は確実に白んでいる。けれど、見晴らしがいいわけではない。大黒埠頭は、景色を見るならばPAではなくて、公園に行くべきなのだということを、僕らは全く知らなかった。
人の少ないラウンジに座って、佑美がペットボトルの蓋を開ける。少しだけ力を入れたのか、右手のリストに筋が立つ。
もうすぐ夜が明ける。まだ離れたくない。でも、朝日は見えない、僕らには朝日は上がらない。
特に話すこともなく、120秒くらい。人気の少ない大黒埠頭PAのラウンジの、朝のこの時間のことが忘れられない。
佑美と僕の関係にその後進展はなかったし変化もなかった。
僕は順調に留年し、彼女は優雅に大学に通い、たまに僕らのサークルに来るときは僕の車に乗り込んだ。
その度に僕はそれなりに悩んだというか、一人で苦悶した。僕と佑美は、これ以上進めないように思えたし、かといって、僕自身、佑美との関係を一切切ってしまうということもできなかった。臆病というかなんというか。一緒にサークルに行くけれどそれだけ。二人で連れ立って歩くことは、あれ以来なかった。みんなといる限り、僕の役柄は他人でしかなかった。
もういいや、そんな思いが強くなって行った春が過ぎ、夏の大会が迫ってくる。僕らの小さなサークルは、6月末に学内の大会に参加していて、そこでいい結果を出すことに例年こだわっていた。
小さいといっても4学年合わせて50名強のメンバーがいて、高校時代はインターハイに出ただとか、どこかの県代表だとかいうメンバーも多くて、僕は4年目にして初めてレギュラー落ちしそうな状況だった。新しく入った1年生がなかなか強者が多く、かろうじてレギュラーの末席にいた僕が弾かれそうだった。
4年の僕にとっては最後の大会だ。いいところを見せたいし、もしかしたら、人生最後のサッカーの試合かもしれない。レギュラーでなくとも、おそらく試合には出れるだろうけれども、そこには大きな差がある。
レギュラーになれないなら、やめてしまおうか。その思いは僕の中で、日に日に抑えられないものになっていた。同期や、1つ下のメンバーたちと新宿で集まってはくだをまき、愚痴と嘔吐を繰り返すような夜を重ねていた。
1998年の6月。この年は、サッカーのワールドカップに日本代表が初めて参加する、フランス大会が始まる。僕らの話題も当然にその話が多くなる。特に、メンバー選考については、日本中の誰もが、一家言あるような状態だった。
僕は、その岡田監督の言葉を、歌舞伎町のスタンディングのビールバーで聞いた。
「外れるのは市川、カズ、三浦カズ。それから北沢……」
外国人も多い小さなバーだけれども、この放送が流れると、大きくどよめいた。
ほとんどの人が、もしかしたらカズが外されるかもしれない、という報道を見ていて、そうかと思いながらも、それでもやっぱりカズを外すことはないだろうと思っていた。Jリーグの初め、そして、ドーハの悲劇などを見てきた僕らにとり、カズは英雄で、日本のサッカーそのものだった。ぽっと出の中田とは違う。いくら中田がスーパーだろうと、結局はカズと中山のツートップだよ、と。
それが。
何杯目になるのかわからないギネスを右手に握りながら、僕は急に周りの空気が冷たくなるのを感じる。
別に僕はカズのファンではない。なんなら、そこまで日本代表に熱狂しているわけでもない。JリーグよりもセリエAとかリーガとかの方が好きだ。
でもそういう問題じゃない。
日本に帰国したカズは
「日本代表としての誇り、魂みたいなものは向こうに置いてきた」
という言葉を残した。
その次の週末の練習の後、僕らは郊外にあるボーリング場に行った。車4台で、総勢12名で。その中には当然に佑美もいた。
3チームに分かれて、全部で5ゲーム投げた。チーム戦で、1位のチームが3位のチームにゲーム代とドリンク代を全て持ってもらうことにしていた。よく、そういうことをやっていた。
夜の10時前位くらいにお店に入ると、ボーリング場は「宇宙ボウルタイム」で、全体がミラーボールで照らされて、往時のディスコさながらの様子だった。
僕と佑美は同じチームで、僕は大いに張り切った。
ストライクを取れば佑美とハイタッチをし、佑美がガーターを出せば彼女の頭をコツコツとした。それを彼女は笑いながら避けようとする。3ゲーム目の最後の1投で僕が際どいスペアを取り、その後に10本倒して、劇的なサヨナラ勝ちをしたときは、四人で輪になってハグをした。
佑美とハグをしたのは、あの、ジョホールバルの夜以来だった。
最高の夜だった。浴びるようにビールを飲みながら、仲間と佑美と最高の時間を過ごしている。どこにも、僕らの青春を止めるものはない。
でも、4ゲームになると、僕は急に胸が詰まるような感覚に襲われる。
結局、ここまでさ。
今、僕の前には佑美がいて、僕と彼女は親密だ。
だけど、今日、今だけのことさ。
そう、外れるのは、僕なんだ。結局は。
再来週からの試合のレギュラーにはなれない。4年間、最後の大会はベンチから見ることになる。サッカーも、結局はそこまでのことだったんだ。僕には。
4ゲーム目は最下位になってしまい、5ゲーム目で辰彦のチームと雌雄を決することになる。
「吉田先輩!お願いします!」
佑美は僕の手を握って言う。ボーリングでは僕が明らかにチームのエースだ。
「まかしとけ」
サッカーでは一度も言ったことのない言葉を残して、第一投目に向かった。
僕の魂は、まだあのボーリング場にあるのかな。
どうだい?
大黒埠頭、ボーリング場、結ばれない二人とくれば、この曲しかないぜ!
さあ、車のウインドウを下すんだ。
大声で歌う用意はいいかい?
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