さようなら。夏の日。
- いのきち
- 9月23日
- 読了時間: 14分

グッドモーーーーーーニング トーキョーーーーーー!
イッツ セブン エーエムー!
時刻は7時!
涼しいよ!最高の朝だぜ!
さあさあ、水曜日の朝、今日も送り届けます。
あなたの、私の、1990年代!
「Viva 90`S 」
氷河期に青春を過ごした最高世代の男女に送る、
青春のレクイエム!ラジオショートストーリー!!
今日は、夏の終わりに最高の1話だ。
今年の夏はどうだったんだい?みんな。
最高の夏だったかい?
でも、この話、サイパンで出会った二人に訪れる夏の終わり。。。それは。。
おっとっと。さあ、みんな、心して聞いてくれよ。
この夏の終わりは、クレイジーすぎる。
--FM 81.33 T -WAVE--
社員旅行になんかもちろん行きたくない。
拓也の父親は大手広告代理店の社員だった。バブル期のこの手の会社は、今では思いもよらないようなことが平気で行われていた。この会社でも、毎年家族つきで社員旅行が1週間程度企画され、移動から宿泊、現地でのツアー、食事まで全てが会社持ちだった。温泉旅行では、毎夜コンパニオンもやってきた。
昔は拓也も楽しみにしていたけれど、高校生になってからは、集団となった大人たちの品のない姿、お酒の匂い、そしてどこに行っても人ばかりの旅行に、全く興味が持てなくなっていた。
けれど、今年はサイパンだという。
夏、海、太陽。決してアウトドア志向ではない拓也だけれど、初めての海外は大いに魅力的に思えた。
「受験もあるし、行きたくなけりゃ家にいてもいいさ」
と父親はいう。
「いくよ。暇だし」
とぶっきらぼうに答える。
成田から直行便で3時間半。でも、成田空港に着いたのは、どういうことか出発の5時間前。買い物や宴会などが始まり、搭乗前までに十分にげんなりした。
飛行機の中もほぼ貸切状態で、お酒を飲んだ大人たちが大声で話をし、後ろの方で小さな子供がわんわんと泣いていた。
一体何が楽しいのだろうと思う。
毎日同じ職場で働く面々で1週間も旅行に行き、同じように騒いでいる。お酒を飲んで騒ぎたいならば、会社でやればいい。せっかく旅に出るなら、非日常的な状況になりたいとは思わないのだろうか?
サイパン国際空港に着くともっと驚いた。
ここは日本なのか?というくらい、右も左も日本人ばかりだ。英語なんて空港のスピーカーからしかほとんど聞こえない。
やれやれ、と思う。
Pリゾートという立派なホテルについてみると、そこはもはや日本国内と同じだった。
夕食のビュッフェの会場には、従業員以外で日本人を探すのは難しい。その従業員のほとんども、片言の日本語で話してくるから、英語なんて聞くことはほとんどない。大人たちは、大いに食べ大いに飲み、そして小さな子供たちは走り回っている。
これが5日間も続くのかと思うと、改めてげんなりした。
やっぱり来なければよかったかな、と。
かといって、持ってきた単語帳や英文法の参考書をめくる気持ちにもなれない。
2日目、父親はゴルフに出かけ、母親たちは何やらバスのようなものに乗り込んで買い物に出掛けていく。拓也も誘われたけれど、買い物なんて1ミリも興味を持てなかった。
「ビーチに行く時は、他の人と一緒にいけよ」
父親はそう言い残していく。
もちろんビーチなんて行かない。日焼けなんてしたくない。
でも、ホテルの中でゴロゴロしているというわけにもいかなかった。
ホテルの前には眩いコバルトブルーの海が広がり、空は紺碧に塗り込められたキャンバスのようで、低いところには力強い雲が浮かんでいる。暑い。けれど東京の下町の暑さとはまるで違う。思ったよりもさらりとした暑さだ。
拓也は読みかけの「月と六ペンス」を持って部屋を出る。
サイパンとくれば南国。南国、南の島とくれば、タヒチで生涯を閉じたゴーギャンをモチーフした「月と六ペンス」がなんと言っても似つかわしいように思えて、荷物の中に入れてきた。
ロビーを出てビーチまでの間の広い広い敷地内に、幾つものプールがある。どれも人は少ない。バブル期の日本人は、サイパンまできて朝からプールでくつろいだりしない。男たちはゴルフやらビーチやらに行き、女たちは買い物に出かける。
ホテルからなるべく近く、午前中の日差しがホテルの建物に遮られて日影の多そうなプールへ行く。そして、ビーチパラソルの下、20台ほどのビーチデッキの並んでいるうちの1つに、タオルと本とペットボトルを置く。
プール、芝生、椰子の木、砂浜、海、空と続く南の島の景色を見て、大きく深呼吸をする。
悪くない。いや、どちらかと言えば最高だ。何よりも、日本人がいない。
デッキチェアに横になり、「月と六ペンス」を適当に開く。ストリックランドがパリでアブサンを飲んでいる場面が飛び込んでくる。拓也はゆっくりとその場面を目で追いかける。
音のない午前だった。
風がなく、波音もしてこない。蝉もいない。遠くの方で、小さな子供たちが騒いでいる声がする。おそらく日本人だろう。でも気にならない。
ふと空を見上げてみる。確かに東京のそれとは違う。なんだろう。少し青さが深い感じだろうか。雲が眩しいくらいに白い。
高校生活は後半年で終わる。
特に何もない2年半だった。中学校からの流れで野球部に入ったけれど、3年間、公式戦は一度も勝てなかった。そもそも公式戦に出れたのも3試合だけだった。
成績がいいわけでもない。彼女もいない。
特に行きたい大学もないし、別に目指したい進路もない。
運動部のくせして、日焼けが嫌いで、本ばかり読んできた。
それでもまあ、こんなものかとも思う。
日差しが中空に差し掛かる頃、人気のないプールの右奥の方、二人がけのテントの下に一人の女性がいることに気づく。女性というか、女の子というか。
明らかに日本人で、細身の体に肩の少し下の方までの髪。プールサイドだけれども水着ではなくて、薄いピンク色のノースリーブのワンピースを着ている。
いつからそこにいたのか。2台のデッキチェアーの真ん中にはストローの刺さったカップが1つある。一人できているのだろう。そして、彼と同じように何かの文庫本を手にしている。
拓也は彼女から視線が離せなくなる。本を読むふりをしながら、彼女の様子を見続ける。
道の向こう側のプールで、誰かがバサンと飛び込む音がする。
昼時になり彼女は立ち上がってホテルのロビーへ向かう。拓也はその姿をしっかりと追い続ける。
部屋に戻り、ルームサービスでサンドイッチを頼む。その間も、拓也は彼女のことを頭から追い出せなかった。
スラリとした腕が、ゆっくりとページをめくる。何の本だろう。結構厚めの文庫本に見えた。うちの父親と同じ会社の人だろうか?幾つだろうか? 次から次へと妄想が浮かび上がってくる。
サンドイッチを食べ、ジンジャーエールを飲んで、ペットボトルに水を入れてもう一度プールへ向かう。
先ほどの場所より少しだけ、彼女のいた方に近く。ドリンクスタンドの方に幾分寄ったところに座る。
13時を少し回った頃に、彼女がプールにやってくる。今度は、母親と思しき女性と共に歩いてくる。何かを話しているのだけれど、二人ともたいそう小さな声で囁き合っていて、その中身は聞こえてこない。南国の太陽の陽気さと、彼女たちの姿は随分とミスマッチに見えた。
二人が拓也の前を通る。爽やかな風と、シトラスの匂いが通り過ぎる時、彼女はわずかに拓也に微笑みかける。そして、5センチくらい首を傾げる。
その午後は、拓也はもう何も考えられなかった。「月と六ペンス」は開いているけれど、字面を追っているだけで何の情報も入ってこなかった。
常夏の南国の静かなビーチで、彼は灼熱の恋に落ちる。
夜のレストランでは、食べ物を探すふりをして彼女を探す。食後の自由時間になれば、ロビーを歩いてみたり、お土産コーナーを回ってみたりする。夜のプールサイドにも出でみる。でも、彼女は見当たらなかった。夜のプールサイドは、バーが出ていて、お酒を飲んだ日本人の大人たちが大声で何やら騒いでいる。昼の静かさとは180度違う世界だった。
次の日の午前中も彼は同じプールサイドに出る。空は同じような濃い青色で、日本人たちはどこに行ったのか、ほとんど見当たらない。
彼女はなかなか姿を表さなかった。
30分過ぎ、10時を超えて、昼時が近づいても、昨日彼女に気付いた時間になっても、今日は現れなかった。代わりに、3人の女性のグループが拓也の前を通り過ぎただけだった。
彼女はもう日本に帰ってしまったのかもしれない。あるいは今日は、母親と共に買い物に行っているのかもしれない。ビーチに行くような子には見えなかった。テニスをしているようにも。
いや、あるいは彼女は、昨日拓也と2度も遭遇したこと、そして彼の視線を受けたことを嫌がって、別のプールに行っているのかもしれない。
そんなことを思い続けていると、夏の暑さが息苦しくさえ感じられた。
昨日と同じように自室でサンドイッチを食べて、頭に行き交う黒い雲を振り払って、午後も同じプールに行く。
13時を回ってしばらくしても、彼女は現れなかった。
午後は、湿度が急に上がってくるのを感じた。遠くの海の方に雲が湧き上がってきていた。
14時少し前に、太陽が雲に隠れたところで、彼女がプールサイドにやってきた。拓也は入って右側へ。彼女は左側へ。その距離は30mくらい。昨日に比べれば半分以下だ。
拓也は緊張する。鼓動というか拍動というか、とにかく息苦しい。でも、さっきの息苦しさとは違う。何か体の内側から違う物質が放出されている。
彼女はゆっくりとデッキチェアをあげて、そこにタオルを敷いて座り、トートバックから文庫本を取り出す。
拓也はどうしていいかわからなくなる。本を読んでいる場合ではない。
声をかけてみたい。話をしてみたい。このサイパンの空の下で、同じように集団行動を避けて、人気のないプールサイドでなんとなく本を読んでいる。この状況は、まるで誰かの絵の中の男女のようだ。
でも、どうやって?何を話せばいいのか?
拓也には、その言葉が出てこない。もちろん、とにかく話しかけてしまえ、という勇気もない。
風が急に強くなる。雲はいつの間にか、天を突くようにそびえている。プールサイドが波打つ。
15時近くなり、強烈な夕立、スコールがやってくる。雲が、、と思ってから、降り出すまでが一瞬のようだった。
雨は、平たく言えば、バケツをひっくり返したような、という表現がぴったりで、簡易的なテントではとても凌げるものではない。
拓也は大慌てで、プールサイドのバーの下へいく。ここならば、しっかりとした屋根がある。
そして、もちろんそこに彼女もやってくる。長い髪を濡らし、昨日とは色の違うワンピースを随分と雨に濡らしながら。
ほぼ同時に二人はバーの下に走り込む。その時、拓也と彼女の距離は15センチくらい。
「大丈夫でしたか?」
拓也が探していた言葉はこれだったのか。とにかく、彼女に向けて発することができた最初の言葉だった。
「ええ。でも、ちょっと本が濡れてしまって」
そう言って彼女は脇に抱えていた本を見せる。わずかにはにかんだように見えた。本なんかよりも、彼女自身の方が随分濡れていたけれど。
「トルストイ」
拓也はその分厚い文庫本の作者を口にする。湿ったシトラスの匂いが雨の匂いと合わさり、なんとも言えない素敵な香りとなる。
「長い本が好きなんです。とにかく長いものが」
「僕も読書が好きなんです。ほら」
そう言って「月と六ペンス」をポケットから取り出す。
「モームです。私も大好きです!”人間の絆”は何回も読みました」
「トルストイも好きですよ。”罪と罰”とか」
彼女は斜め下の方から僕を覗き込む。
「日本の方、、ですよね?高校生?」
山の方で稲光が走る。雨音が激しくなる。おかげで拓也は胸の鼓動が激しくなることをごまかせた。
雨が止んでから二人はデッキチェアーを拭いて、間にドリンクを置いて腰掛け、話をする。
拓也は自分が高校生男子としてはずいぶんに読書家だと思っていたけれど、彼女はそんなレベルではなかった。
この年齢で、トルストイを全て読み、「嵐が丘」をなん度も読み、モームとディケンズを読破しているような人は見たことがない。彼の知らない作者、作品の話が次から次へと出てきた。
でも、誰かとこんなに、ヨーロッパの文豪たちの話をしたのは人生で初めてだった。そのせいか、話はいつまでも尽きることがなかった。
翌日は朝から雨模様だったけれど、拓哉と彼女は二人でプールサイドに出る。お互い昨日と同じ本を持って、彼はコーラを、彼女は炭酸水を持ってくる。
彼女はあまり自分のことは話したがらなかった。高校生であること、2年生で、家族旅行でサイパンにて来ていること、読書が好きなこと以外はあまり口にしなかった。読書が好きな理由は、
「私は生まれつき体が弱くて、運動とは縁のない生活を送ってきたの」
ということだった。それ以上は口を閉した。
その分、拓也は自分のことをたくさん話した。
野球のこと。成績のこと。高校のこと。サイパンにどうしてきたのか、ここに来て何を思っているか。受験について。などなど。7割くらいは彼が話をした。
雨は午前中の間ずっと続いていた。そして、二人の話も途切れることなく続いた。
「こんなに楽しい時間、これまでになかったかも」
12時近く、彼女がふとつぶやく。
拓也は彼女の肩を見る。細い、鎖骨の浮き出ている華奢な肩を見る。手を触れたいと思う。でも。
午後もプールサイドに来ることを約束する。
拓也は13時ちょうどに来たけれど、彼女はしばらくは現れなかった。雨に加え、午後は風が出てくる。
30分しても彼女は来ない。
もう来ないのではないか。拓也の頭にはその想いが渦巻く。理由はわからない。でも、停滞前線のようにその思いは重くのしかかって離れない。
14時過ぎ。もう来ないのだろう。拓也もそろそろ部屋に戻ろうかと思い始めて少しのところ、雨がほとんど小降りになったところを彼女が小走りにやってくる。
「ごめんなさい」
「ちょっと親と色々あって」
拓也の隣のチェアーに座りもう一度彼を見る。
「全然大丈夫だよ。どうせ何もやることないんだから」
彼女はニコリとする。そしてぺこりと頭を下げる。
午後は雨は小降りになったけれど、かわりに風がどんどん強くなる。プールにも小さな飛沫が上がる。
16時前に、彼女の父親らしき男が現れ、彼女に小さく何かを耳打ちする。彼女は明らかに俯き、そして静かに頷く。バカンスには似合わないスーツ姿のその男は、拓也には目もくれずに去っていく。
「少し歩きませんか」
彼女はそう言って立ち上がる。
小ぶりとはいえ雨は降っている。でも彼女は気にするそぶりはない。
拓也も慌てて文庫本をポケットに入れて追いかける。
20mもしないうちに彼女はいう。
「私、明日には日本に戻らなといけないの」
波打つ夕立のプールがさらに飛沫をあげる。
一番素敵な季節が、もうすぐ終わる。
雨に濡れながら二人はプールサイドを歩く。拓也は彼女の横に並ぶ。
「本当はまだいる予定だったの。でも、私の手術の予定が変わって、明日には日本に戻って入院の準備をしないといけないの」
「さっきは、そのことで親と喧嘩になってしまったの」
「だって・・」
そういって彼女は拓也をそっと見る。
風が少し止む。霧雨のような雨が二人を湿らせていく。
拓也も彼女を見る。瞳に、付きせぬ思いを焼き付けるかのように。
そう、明日になればもうここに、僕らはいない。
めぐる全てのものが、急ぎ足で変わっていく。それは、こんな世界の片隅で出会った少年と少女をも飲み込んでいく。
彼女のことを愛しているのだろうか? 好きなのだろうか?
言葉にならないもどかしさを、どうしたら伝えることができるのだろう?
拓也は彼女の手を取る。左手をそっと伸ばして、彼女の右手を取る。二人は歩みを止める。
「時が止まればいいのに」
彼女がいう。その言葉は、サイパンの午後の風に掬われ、空に舞い上がり雨雲に吸い込まれていく。
「さよなら私の夏の日、素敵な夏の日」
風が止む。朝から吹いていた風が途切れる。代わりに海の向こうに大きな虹が出る。二人は手を取り合ったままその姿を見上げ続ける。
「私のことを覚えていてくれるかしら?」
「君のことを忘れられるわけないよ」
「変わらずに、私にどんな未来が訪れても?」
「もちろんさ」
雨に濡れながら、短い夏の、短い奇跡が二人を包む。
「日本に戻ってしばらくしたら、よかったらここに電話して」
それから4日後、拓也も日本に戻る。
しばらく、電話をすることはできなかった。
彼女は入院すると言っていた。しばらくは家にはいないのだろう。
9月に入り、学校が始まった。拓也は彼女のことを考えない日はなかった。もういいだろう、もう電話してもいいだろう、と。
その勇気が持てたのは、9月の半ば、学校の文化祭が終わった日だった。たくさんの熱気、高校生らしい高揚感が彼の心を動かす。
学校からの帰り道に、電話ボックスにはいる。05から始まる電話番号をダイヤルする。
「高田と言います。・・・さんはいますか?」
電話口に出た女性はしばらく返事をしない。拓也には、永久のように感じられた。その無言の時間は全てを覆い尽くすように黒く、暗かった。
どれだけ経っただろう。彼の左手はずいぶんと汗ばんできた。
「彼女は亡くなりました」
そう言って、その女は一方的に電話を切った。
どうですか?どうしてここで終わる?
彼女はどうなったんだ???
何か、どこかに、僕らにも忘れ物のはないかい?できることはないかい?
さあ、一緒にこの曲を、心して聴こうじゃないか!
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