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40歳のラブレター(1)高田馬場

  • 執筆者の写真: いのきち
    いのきち
  • 2024年12月19日
  • 読了時間: 5分

更新日:2024年12月20日


40歳のラブレター

 僕が彼女に出会ったのは大学3年生の時だった。彼女は僕たちのラグビーサークルの新入生歓迎会に、地元の友達と一緒に来ていてた。


 西武新宿線の高田馬場駅の早稲田口を出て、信号を1つ渡ったところにある雑居ビルの3階の居酒屋は、入るとどういうわけか人間の嘔吐物のほのかな匂いがする。天井と壁のあちこちには穴が空いていて、食べ物は乾き物以外は、安いカラオケボックスのそれよりも劣るような代物。そんな店だけれど、200名以上あろう客席は定員をはるかにオーバーして密になっていて、学生たちは飲んで騒いで一部は裸になっている。1990年代の高田馬場にはこのようなお店がまだまだたくさんあった。


 そのお店は僕らも毎シーズンの大きな飲み会のたびに使っていて、食べ物については、とにかく不味いという以外に思い出せることは何もなく、その代わりに、サントリーの「ダイミック」と、日本酒の「豪快」という名前だけはよく覚えている。ビールはレギュラーガソリン、日本酒はハイオクガソリン。初めはレギュラーが猛スピードで消費されていき、ハイオクが投下されてくる頃からの記憶が薄くなり、気がつくと素っ裸でビール瓶を両手に歌っている。別に僕らが特別なのではなくて、どこのテーブルでも同じようなことが展開されていて、よくもまあ致命的なトラブルが「たまにしか」起こらないですんだものだった。


 彼女が初めて来た4月の終わりのその日、僕が彼女とどんな話をしたのか、特に思い出せることがないのは、きっとほとんど話などしなかったのだと思う。人間らしい会話は。ともあれ彼女と彼女の友達は二次会へは向かわず帰るというので、僕らの幹事長が、僕と彼女の家が近いことに着目し、次回の練習の時には

「こいつが車で迎えに行くから。それに乗ってきて」

と勝手に決めて、連絡先などを確認してそれぞれに伝達をしていた。


 そういうことで次の火曜日、僕は彼女を家の近くまで車で迎えに行くことになった。


 平日の昼下がり、いい陽気の下、学校には行かずに車を少し手入れして、彼女の家を目指す。僕の車は15年以上前のトヨタのクレスタの中古で、できる限り限界までローダウンし、マフラーはゲンコツ2個分くらいあり、ガラスはフルスモークの、明らかな痛車で、いざこの車でよく知らない女の子を迎えに行くとなると、すごく恥ずかしい気持ちになった。冷静に思えば、女の子を車で迎えに行くということ自体が、いくら仰せつかった役割といはいえ緊張もしたし、その上、改めて見るとこの車は、なんとも痛い。普通の女子なら引くよな、と思う。家の下ではなくて、家の近くのコンビニまで迎えに行くことにしたのも、マフラーのバリバリという爆音が迷惑になると申し訳ないと思ったからだった。


 4月の後半で、もうすぐGWという頃合い。GWが明けると大体新入生のサークルの行き先も決まってくるので、僕達幹部学年としては、一人でも多くの一年生を確保したいと躍起だった。だから、新入生は男女問わずできる限り車で送迎し、飲み会も完全無料で接待した。特に女子マネージャーの確保については、絶対目標として「2以上」というものがあった。0名はダメ、1名だけでくるという子もあまりいないので、2名セットをしっかり確保するというのが至上命題だった。


 だから、初めの段階では、僕は彼女に女の子として関心があったということではなくて、家が近いので戦略的に送り迎え要員になったというところだった。それゆえに、僕としては、このような痛車で迎えに行くことで、彼女にドン引きされてしまうと大いに困るなとは思っていて、できる限りの配慮をということで、洗車をして、室内を掃除して、少しでもマイナスを減らそうと頑張って迎えに行った。


 彼女が初めて僕の車を見てどう思ったのか、今となってはもうわからないけれど、僕が危惧したような、顔が一気に曇っていく、というようなことはなくて、タクシーに乗るかの如く普通に乗り込んでくれた。彼女からは、車の見た目、内装、そして中にいると会話もままならないようなマフラーの音については、特に言及はなかった。一見すると特に気にすることもなく、スッと助手席に座っていた。


 そんなことで、僕の心配をよそに彼女は助手席に座り、僕は運転席に戻り武蔵野の練習場に向かう。道すがらあと一人男の子をピックアップして行ったけれど、どういうわけか、彼女が助手席で、その他が後ろの席という景色がずいぶん違和感なく感じた。本来ならば、先輩の彼の方が前なのでは?という気もするのだけれど、以降誰も、彼女がいるときに、助手席に座ろうとした人はいなかった。単に図々しいだけなのか、なんなのか。


 練習場までの道は車で3、40分の距離でドライブにはちょうどいい。トイレの心配をしなくていいし、歌も歌えないほど短くもない。途中の丘を越える道は、細くてすれ違うのもなかなか大変な道だったけれど、そこを格好つけて70キロ以上出して走ってみたり、4車線の街道に出ると右側の車線をいいスピードで走って飛ばしていく。新緑の午後は、窓を開け放って速度を出して郊外をかけていくには最高の季節だった。よくいくボウリング場を抜け、右手には電波塔が見えて、その先の小さい道を右に入っていくと練習場へ着く。爽やかな風が吹き、清々しい春の匂いがして、隣に彼女がいて、僕はいつもとは違う満たされた春の陽気を感じていた。

 


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