40歳のラブレター 手紙(12)
- いのきち
- 1月19日
- 読了時間: 7分

僕が当初の予定通り、無事に留年して大学5年生になり、あなたが3年生になった時に、1年生として新しく入ったFが足を骨折して入院してしまい、僕は就職活動も終わり暇だったので、彼の家で飼っていた猫の喜久恵の世話を見てあげることをかって出ました。あなたも何回か喜久恵は見に来ていますね。
最寄りの駅からは5分程度で、片側1車線の道路沿いの、1階の湿った部屋で、僕は相当の時間を喜久恵と過ごしました。灰色のロシアンブルー。
僕は、動物好きということではないのですが、猫には昔から心ひかれるところがあり、飼ってみるなら猫がいいなと思っていました。小学生の頃には、崖の上の駐車場の下の秘密基地で、野良猫に餌付けしたりしていました。社会人になってからも、一緒に住んでいた彼女との家には、猫をかっていって、1匹がやがて2匹になっていきました。
そんなわけで、僕は、Fの家で、喜久恵と一緒に彼の布団に潜りながら、ニッカブラックを飲みつつ、ディケンズの「月と六ペンス」を読んでいました。この本はあなたにプレゼントしたこともあるように思います。画家のゴーギャンをテーマにした作品で、これを読んだらタヒチに行きたくなるのは必定です。また、人間が生まれながらにして持っている憧憬というものについて、深い示唆を与えてくれて、この後何度読み返したかわかりません。
この本の中で、主人公の、無一文で、絵もまったく売れないストリックランドが、パリで暮らすことを献身的にサポートしてくれたのが太っちょのストルーブです。彼は、ストリックランドの世話をしているうちに、彼を自分の家で面倒見るようになります。すると、初めは彼を心底嫌がっていたストルーブの奥さんが、ストリックランドと心通わせるようになり、ストルーブ自身が自分の家から追い出されてしまいます。
ところが、ストルーブはそれでも奥さんとストリックランドへのサポートを続けました。食べ物を持っていき、不足しているお金を継続して融通してあげました。最終的にはストリックランドについた奥さんは、精神を病み発狂して死んでしまいます。ストリックランドはそんな奥さんの亡骸を置いてストルーブの家を出て行ってしまうのですが、その家に、怒りの炎に身を包んだストルーブが入っていき、家の中をぐちゃぐちゃにします。短いナイフを持った彼は、机を刺し、椅子を蹴り倒し、掛けられている洋服の類を切り刻み、グラスや食器をなぎ倒していきます。口からは言葉とは言えない叫び声を発しながら。
そしていよいよ、ストリックランドが描いていた絵、それはストルーブの奥さんの裸体でした、そのキャンパスをナイフで、怒りに震えながら切り裂こうとした時、彼はふと立ち止まります。
彼は、絵を切り裂くことができませんでした。
何故ならば、そこにあったのは、本物の芸術、魂を揺さぶる本物の芸術だったからです。
その絵は、単に絵であることから解き放たれ、彼の心の奥にある何かを揺さぶります。それにより、彼の心は大きく震え、これまでに感じたことのない温かさに苛まれます。そう文字通り、心の奥から湧いてくる、彼の永遠の憧憬の温かさに彼は苛まれる。そして、彼は本当の芸術を知るわけです。彼のつまらない、ケチな献身性や、芸術への浅はかな造詣は駆逐され、代わりに彼は、澄んだ、地平の向こうまで続く本当の心の景色を知るわけです。
その文章を、暗い湿った部屋で読んでいた時、僕のまぶたの奥に、ススキの海のような、黄色く広がる、懐かしいが景色が広がりました。僕はその感覚を確かめるためにゆっくりと目を閉じ、じっとこの空間を離れ、遠い光のさす世界に身を置いてみようとしました。ぼんやりとした金色の光の中で、僕はともて懐かしくて切ない気持ちになる。きっとどこかで僕はこの景色を見たことがある。必ずどこかで。でも、それが何処か、どうしても思い出せない。でも、この光は確かに僕のものだ。だから、手を動かし、その光に触れようとする。しかし、それは決して触れてはいけないものだった。僕の手の動きによって空気は微かに震え、その微かな震えは1mmごとに拡幅され、そして光に届く時には巨大な旋風となり光を吹き消してしまう。そして、何もない世界がやってくる。そう、本当に何もない世界がやってくる。その光のない世界は、僕にはなんの価値もない世界でしかなかった。そして、僕は自分がその光を永遠に失ったかもしれないことに気づく。どこかの洞窟の底から恐ろしく冷たい風が吹いてくる。その冷たさは筆舌をつくし、その世界を超えて、この杉並区の1Fのアパートにまでやってくる。 冷たい空気に覆われ、僕は暗闇で後ろから肩を掴まれたような寒気を感じ、喜久枝しかない部屋をぐるりと見まわしました。もちろん誰もいません、何も変わっていません。しかし、それでいながら、僕は、僕の見えている世界が決定的に変わったことを感じました。
僕は、ストルーブだな、と思いました。自分を。
街道沿いのアパートの一階の部屋は雨戸で覆われていて、昼でも薄暗く、本当は天気のいい春の午後に、一人で、湿った、他の男の布団の中で、猫と一緒に横になり、ウイスキーをストレートで飲みながら、僕はそう思いました。
それでしょうがないし、それでいいのだと。
僕は割と、それまでそんなに女の子に執着する方ではなかったと思います。あっさりした方でもないとも思うけれど、こんなにうまくいかないのに、こんなにあなたに執着しているのは、それまでの僕からすればあまり考えられません。その前のAさんのように、ダメならさあ次へ行こう、という方だったはずです。 それなのに、どうしてこんなにあなたには執着するのか。まだ、愛とか恋とか、そんなことの差とかもわからないし(今でもわかっていませんが)、冷静に思うと、どうしてなのか、その時までよくわかっていませんでした。
でも、自分はストルーブなんだなと思った時、ストルーブでいい、いや、ストルーブになれたんだと思ったとき、僕は、自分が、自分にとって本当に価値のある光輝く存在を見つけていたことを認識しました。ストルーブが見たあの絵のように。
そう、それがあなたという存在そのものだったのです。
僕にとってあなたの存在は、本当の光、生まれてから僕の心のどこかにずっとあって、僕を支え、照らしてくれてきた、あの光なんだと知りました。だから、僕は、あなたが誰と付き合おうが誰が好きだろうが、関係ないのです。そこにいる、そばにいる、距離的に近くなくとも、心の距離として近くにいる、あるいは観念的に常在している、それだけで、あなたは、僕がいることの価値を照らし出してくれる光なのだ、と気がづいたのです。
そうわかった時、僕の体は小刻みに震えてきました。こんなに暖かい5月なのに、寒さで体が震え、止まらなくなりました。ただただ震えが続き、僕はそれを止めようと思い、たくさんのタバコを吸い、ニッカブラックを飲みました。震えは、決して止まりませんでした。酔いが回って眠ってしまうまで。
僕は、それ以来、あなたのことを、本当に大切に思うようになったと思います。あなたのことを本当に大切にしようと心に決めました。それが僕の人生の一つの役割だ、と心に決めました。付き合うとか、そんなことは、僕にはどうでもいい、本当にどうでもいい些細なこととなり、消え去っていきました。もしかしたら、そう思うことで、あなたは逆に少しよそよそしさを感じていたかもしれません。一緒にいる時間も減っていったように思います。でも、僕にはそういうことはもうどうでも良かったのです。ただただ、あなたのことを、あなたとのことを大事にしよう、そう思い、そう思えていればいい、と思うようになっていきました。
僕はあなたが照らし出してくれる、内なる光の示すものを明らかにしたい。それがもう1つの僕の人生において大事な大事なことだと思っています。だから僕は、文章を書くことにしたわけです。もしかしたら、それは世界を救うことになるかもしれない、と思っているのです。何を言ってるのかしら、と思うでしょうが。
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