40歳のラブレター (6)江ノ島
- いのきち
- 1月14日
- 読了時間: 5分
更新日:1月19日

この年の秋の10月に、僕は一人で江ノ島に出かけた。朝、太陽が昇る随分前に家を出て、府中街道を南下し川崎市に入り、第三京浜を横浜へ向かい、環状2号線に出て大船から鎌倉へ入り、鶴岡八幡宮の脇を通り国道134号に出る。
由比ヶ浜の前の駐車場に車を止めて秋の浜辺に出て、久しぶりに海風を感じてから、腰越を超え、江ノ電を右手に凪の海を左手に走る。カレー屋さんの珊瑚礁を過ぎて、江ノ島の交差点を左に折れ、橋を渡って左手の駐車場に車を停めて、江ノ島神社の参詣道を一人で登って、パンパンと参拝をしてきた。
特にすることもなくて、そのまま車を置いて江ノ島の橋を歩き、右手の砂浜に出て、それなりにいるサーファーを見ながら、タバコをふかす。朝日はもう登り切っていて、南東方面に躍り出て、秋特有の澄んだ青い空は高くまで広がっていて、海は緩やかにずっと彼方に伸びていき、小さくひらひらと水面が揺れていた。Tシャツ1枚でも寒くない日、僕は何を考えていたのか。タバコを吸いながら海を見て、空を見て。
湘南方面は彼女とも何度かきたことがある。平塚にはビーチタッチフットに、鎌倉へはフラフラと、湘南の海岸は海を見に。そんなことを思い出していたのか。
とにかく、海というのは不思議なもので、村上春樹も「海ばかり見ていると空が見たくなり、空ばかり見ていると海が見たくなる」と書いてるけれども、やっぱり僕は海が好きで、特に理由がなければずっと見ていられた。どこかで「人間は動きのあるものはずっと見ていられる」と言っていて、その代表例として、揺れる水面と、焚き火などの炎と、恋心、をあげていたけれども、人間というのは実にうまいことを言うものだと思う、改めて。
行きも帰りも、134号ではサザンを聴いていて、いえば、サザンを聴くために走りに来たと言ってもいいかもしれない。「希望の轍」を聴きながら朝の134号を走るのは、今でも十分に魅力的な誘いで、40歳を超えた今も、無性に走りに行きたくなる。
どうして出かけたのか。理由が思い出せない。覚えておくにはあまりにも微かなことで、あまりにも遠いことに思える。でも、僕が鎌倉や江ノ島について思う時に真っ先に浮かんでくるのは、彼女や仲間と出かけたときのことではなくて、このときのことで、何がそうやって僕の心に留まろうとしているのか。彼女と出かけたことの記憶はどんどんと薄れていくのに。
それはもしかしたら、このドライブに出かけた後すぐに、彼女が、同期で、同じサークルのEと付き合うことになったということを聞いたからかもしれません。
僕はそのことを、E本人から直接聞いた。彼が丁寧に僕を気遣って、かくかくしかじかと言ってきくれた。僕は彼の2つ上の先輩で、彼は僕の心を察していたわけで、配慮というか、慮るというか、本当のナイスガイだった。嫌味ではなくて。顔は素敵だし、小柄だけどラグビー含め運動もしっかりできるし、ほどほどに真面目で、でも、とってもユーモアのある話ができるし、何と言っても、周りへの配慮が本当に素晴らしい。学歴も申し分なし。僕が女で、僕と彼だったら、残念ながら僕も彼を選ぶだろうなと思う。選べるなら。だから、なんか悔しさとかそういうのは綺麗になくて、しかも、僕を立てるかのように慮って話をしてくれて、僕の方は何も言えない、という状態だった。100対0で完敗すれば、悔しさよりも清々しい気持ちになるものだ。
ただ、彼から「彼女とはできるならば、今まで通り接して欲しい」と言われて、それには少し考えてしまった。「そういうことだから彼女と二人で車で長い時間いるとかはやめて欲しい」となるのは当然のことで、もちろんそういうことになるだろうと思っていたけれども、真逆の言葉を投げかけられて、どうしたものかと思った。 今思うと、これは要は、彼から見て、僕と彼女が一緒にいようがなんだろうが、間違いは起こらないと思われていた、ということかもしれない。芸能人が、仕事帰りにタクシーの運転手と二人になっても、そこにロマンスは起こらないのと同じだ。そう、運転手に恋する女優はいない。現実だってそういうことだ。
ただ、そう話されて、どこかで安堵している自分もいた。こうして書いてると、どうかしてるよなと思うのだけれども、結局は、Eからの話を受けて、彼女との関わりについて双方で承知した上で、同じような送迎生活を続けていくということになった。
大学を出てからしばらくして、何かの機会で東京でEと会った時に、このときのことを話したことがある。実は、彼も「本当は嫌だった」と言った。でも、周りのことも考えると、そのままの方がいいと思った、ということで、僕ならばそういう判断やジャッジはできないななと思った。本当に配慮の男だと思う、彼は。良い悪いは別にして。
結局僕は、この後も彼女と車に一緒にいる中で、Eとのことについて話をしたことは、ほぼないと思う。いわゆる、彼氏とのしてのEのことを。僕は聞きたくなかったし、けれど、すごく知りたかった。だから、この件については、阿呆になったつもりでいた。阿呆だから忘れてしまった、阿呆だからどうしていいかわからない、阿呆だから何も触れない、と自分に言い聞かせていた。頭の中で、は何度も何度も、彼とどこへ行き、何をしているのかを彼女に聞こうとしてたけれど、その度に、それを聞いたらこの関係もそこで終わるなと思った。結局、そうなることが怖くてできなかった。こうして、彼女にフラれて、当の彼女は別な男と付き合って、という現実がありながら、まだ、決定的に別れるのが怖かった。
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