40歳のラブレター 手紙(最後)
- いのきち
- 1月21日
- 読了時間: 3分

僕は40歳になりました。あなたは一つ下ですから39歳ですね。 暦や年齢という概念は人類が発明した最も偉大なもので、動植物には、人間が勝手にその概念で見ていますが、本質的には、自分が今何歳であるというような概念はないでしょう。昨日と今日の連続です。しかし、人間には、30代最後の日と40歳になった最初の日は、昨日と今日ではあっても、全く別なものとして定義することができます。僕は40歳になった日の夜、あなたとのことを考えずにいられませんでした。これまでのこと、何があって、何をしてきて、何をしてこなくて、そして今のあなたへの気持ちのことを。40歳というのはそういうことを考えるものなのでしょう。
僕にとりあなたは今も最も大事な、僕を照らしてくれる光だろうと思っています。ダーク・ストルーブが見た本当の魂の芸術、僕が見た、人を輝かせる本当の光、それはいまだにあなたであり続けています。この先も恐らくそうなのだろうと思います。 そのことは、本当はわかっていたし、この体の中にその光は注ぎ続けていたけれど、その真実と事実を受け入れ、受け止め、では自分が何をすべきか考えるには、僕はあまりにも若かった。年齢が、ではなく、心が。あまりにも未熟で幼かった。
しかし、その光は薄暮の残光のように、ともすれば消えてしまいそうになっているのも確かです。
それは、人間の日常というものが、いかに本当に大事なものとは無縁なことで埋め尽くされているかという証拠です。そういう日常に埋もれることにより、本当に大事な光は薄れ、いつしか見えなくなっていく。
だから、40歳になったその日、このようにあなたとのことを振り返った時(ブラックニッカではなくて、少ししっかりとした赤ワインを飲みながら)僕はあなたにこの気持ちを手紙として残しておこうと決めました。それが、僕のとるべき唯一の道だと思ったのです。そのような行動を決断できるほどに、僕もその赤ワインのように少しは熟成したのだと思います。
この長い手紙もそろそろ終わりです。ここまであなたが読んでくれているのかわかりません。そもそも、これはあなたに書いているというよりも、僕自身に書いているものです。そんな文章を最後まで読んでくれていることを期待すること自体がちょっとおこがましいようにも思っています。
でもいいんです。冒頭に書きました通り、手紙というのは、書いたということで、いや、書いてポストに入れた、という行為で、その内容を共有できたと思える力があります。僕にはそれで十分です。
(追記)
この手紙を、何度もあなたに渡そうと思っているうちに、実に6年の日々が過ぎ去りました。時の過ぎ去る力というのは、家庭や仕事を抱えながら生きるというのは、実に残酷なものです。僕はそうこうしているうちに、本当に大事なものをどんどん失っている、いや、忘れてしまっているかもしれない。そう思うと、この世に人間が生きることに、どんな価値があるのだろうと思うのです。でも、僕はその光をまだ覚えている、まだ感じることができる、その幸せを、やはりあなたに伝えておきたい、その衝動を抑えることができなくなったということです。
あなたにも、きっとそのような光が届くはずです。多分、明確に。
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