(2)彼女がうつ病に
- いのきち
- 2月13日
- 読了時間: 5分

一人暮らしをスタートして半年が過ぎ、冷たい仙台の冬にようやく春の訪れが感じられるようになってきたころ、僕は彼女がうつ病で入院をしたという話を、同期の友人から聞いた。
”松本、入院したらしいよ。うつだって、うつ。もっともうつに遠そうなやつなのにな”
デリカシーのないメールが何人かからくる。
あれこれ情報を集めてみると、僕と別れた後に、同じ会社の執行役員と付き合っていたのだけど、色々とその彼との間に問題があって(正確ではないが、その執行役員は、彼女以外にも付き合っていた人がいたとか、そもそも実は結婚していた、とかそういう話)、それが原因でうつ病になったということのようだった。また、もともとバリキャリというタイプの女子だけれども、昨年末に、今の会社に属しながら、会社の制度を使って独立し、自ら会社を立ち上げて、郊外にフィットネスクラブを立ち上げていた。その忙しさと、事業の立ち上げ期に必ず経るであろう体力的な問題や、金銭的なストレスなども大いに起因しているように見えた。
そもそも彼女は、とにかく働く、とにかくバイタリティ溢れるキャラクターで、仕事上ではどんなことでもポジティブに捉え、そして考えたことをどんどん実行する推進力があった。新卒同期の中で圧倒的な昇進を果たし、さらに女性起業家としての道を踏み出そうとしている。社内だけではなくて、社外からも大いに注目をされているビジネスパーソンだった。そんな表のキャラに対して、当然に裏のキャラもあって、一緒に暮らしてみると、実にネガティブなものの見方が色濃いことや、喜怒哀楽が激し過ぎて、時に激し、時にふとしたことで大泣きをし、そして、大いに笑った。クールに仕事を推進していく彼女と、一方で、激しやすい、そして割とすぐに落ち込みやすい、そういう両面がある彼女が、女性として、そして人間としてとても好きだった。
だから、うつ病だという話を聞いても、それは、可能性としては十分あるなとは思った。特に、男とのトラブルでは大学生の頃にも大きな問題に遭遇していたことを聞いてもいたので、ありそうなことだと思った。大体、僕との話だって、僕がもう少し普通の男子だったら、こんなに穏やかな別れにはなっていかもしれない。単に、僕が臆病で、優柔不断だから何事もなくすんでいるだけだ。
それと同時に、それでも、ちょっとしたうつ病程度ならば、なんということもないだろうとは思った。少し、心と体を鎮めていけば、時間が彼女を回復させるだろうと。言えば、今までだって、それに似たような感じの時はあった。病院に行くかいかないかの差ぐらいなのだろうと思っていて、特にそれ以上気には止めていなかった。
しかし、夏の入口の7月になって、彼女が自殺未遂を図ったという知らせを受けた。
梅雨の中頃、先走った夏の暑さのせいなのか、軽く立ちくらみを感じる。蝉の声はまだしない。だけど何かの声がする。
携帯を取る。彼女のメールアドレスを開く。この1年近く何もメールは来ていないし、送ってもいない。でも、何かを送らなければと思う。僕は彼女にメールをしなければならないと思う。けれど、何を書いたらいいのか、ただの1つの言葉さえ出てこない。
その代わりに、真夏の雷雨のような、激しい怒りが沸き立ってくる。
間違いなく、彼女のこの自殺未遂には、執行役員の彼がその主たる原因であるはずだ。彼は、彼女が起こした会社のサポートもしていたはずだ。全ての梯子を外され、生きるバイタリティを、一瞬かもしれないけれど喪失した彼女。睡眠薬を鷲掴みにしてアルコールとともに飲み込んだ彼女。あんなに輝く目つきで将来を語り、起業家として取り組みたいことを綿密に準備をし実現してきた彼女。良いことも悲しいことも、悪いことも正しいことも、なんでも激しやすいけれども、熱い彼女。その可憐な命を奪おうとした男性に、そして世の中に対して、生まれてこの方感じたことのない怒りを感じた。
”何かできることがあれば言って。なんでもする”
ようやく書けた言葉の拙さに自分でもがっかりするけれども、ともあれまずは言葉を送りたかった。誰でもない、僕の言葉を送りたかった。6年付き合って、2度捨てられた男だとしても、それでも彼女の味方であることをなんとか伝えたかった。(もちろん、その思いに比して絞り出した言葉は貧弱だ)
彼女からの返信はなかった。
その代わり、彼女の様子は、誰彼となく僕に伝えてくれた。特に同期の面々は、その多くが「会いに行ってやれよ」という言葉をかけてきた。
幸いに、彼女は、病院の同じ部屋の子が異常に気づき、早くに処置をしたため命には大きな影響はなかった。何か後遺症が残るようなこともなかったようだった。ただ、仕事への復帰はしばらくは見込みにくくなり、立ち上げた会社についても、現場は別な子が仕切っているのでなんとかなっているけれど、経営という面での舵取りでは難しいところに追い込まれた。
会いにいくべきなのか、もちろん何度も考えた。ずっと考えた。でも、決断できなかった。会ってどうする?現実問題として、僕に何ができるのだ?何かを励ます?それは調べる限り最も不味い選択肢ということだった。専門的な知識もない。具体的に彼女を助けてあげようにも、できそうなことは1つもないどころか、逆に昔のことなどを思い出したりして、後悔などをさせるようなきっかけにでもなってしまうのではないか、という方が危惧されるように感じた。
現に、メールに対して彼女からの返信はない。
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