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(4)ダリアとコスモス

  • 執筆者の写真: いのきち
    いのきち
  • 2月19日
  • 読了時間: 4分

三十歳前後

 9月の連休の真ん中に、山の手の西北にある病院へ行く。

 最寄りの地下鉄の近くで小さな花束を買う。何を買っていいかわからないので、店員さんのおすすめの、コスモスとダリアをまとめてもらう。薄ピンクのダリアが華やいだ雰囲気で、うつ病患者に持っていくのにどうかと思ったけれども、元来が派手な存在だから、まあいいかと思う。

 病院に向かう上り坂の勾配はなかなかの厳しさで、半袖に長ズボンでもじわりと合わせを書く。秋らしい薄い青空が遠くまで広がっている。

 精神病棟とはいえ、彼女たちの入っているところは、特に厳しい監視を必要とする状態の人たちが入院しているところではなく、症状としては落ち着いていて、静かな環境で、落ち着いた日々を送るために療養をしている人が中心ということだった。そのため、受付にも緊迫感はなくて、はいはい3階ですよ、と軽く案内をされる。ご家族ですか、と聞かれるので、会社の同僚です、と答える。

 

 ほぼ丸々1年ぶりに会った彼女は、僕の懸念とは違って、ごくごく普通そうだった。

 顔は幾分痩せて、丸々とした愛らしい感じから、憂を帯びた大人の顔に変わっていく途中に見えた。

「お酒もないし、食事も美味しくないからよ」

痩せた理由を彼女はそういう。

「健康的でいいじゃないか。僕なんか、やっぱりまた太った」

そういう僕を彼女は少しだけ見る。でも、基本的にはあまり目を合わそうとはしない。

「またお酒飲みすぎたんだって?」

誰から聞いたのか、僕のここのところのお酒での所業を多少知っているようだった。

「ひどい話だよ。聞きたい?」

「別に。話したいならば話せば」

彼女は窓の向こうを見る。坂の下には公園が見えて、多くの学生が何かの活動に勤しんでいる。

 僕は3回のお酒での過ちと、その後の会社での出来事、それに対してどう感じたかを、ゆっくりゆっくりと話した。途中、彼女は何度か話を遮ってきた。そして、それはおかしいとか、それは間違っているとか、馬鹿だなあとか、いつもの彼女らしい毒づきをしてきた。

「よく死ななかったね。あなたの方がよっぽど私よりおかしい、頭」

確かに。彼女のいう通りだ。鈍感であるということは、長生きする秘訣なのかもしれない。


 一通り僕の身の上話を終えると、特に話すことはなくなった。彼女のことをあれこれ聞くのは躊躇われた。

「花なんて買ってきたの。珍しい」

珍しいも何も、誰かのために、個人的に花を買ったのなんて初めてだよ、と思う。

「どうしたらいい?」

「後で何かに入れておくから、その棚の上に置いておいて」

彼女はテレビの横の棚を指差す。

「ダリア? 意外とセンスいいじゃない」

「ふふ。驚いたか」

彼女は少しだけ笑った。あるいは、頬の筋肉をほんの少しだけ上に上げた。

「いい天気だよ。本当はドライブに行って、湘南あたりでタバコ吸いたい」

「悪いね、こんなところに来てもらって」

「いいんだよ。一人でどこか出かけたって寂しいだけだから」

「彼女とかいないの?」

「いると思う?」

彼女は、今度は、明確にニヤリとする。そして首を振る。一度ならず三度も振る。

「まあ、そんなとこだよ」


 少しして、「ビールが飲みたい」というので、僕はどうしていいかわからなかったのだけど、「友達が来た時も、何本か持ってきてもらって、部屋とか屋上で飲んでいる」というので、近くのコンビニでサントリーのプレミアムモルツを5本買ってくる。

 病室の窓を開ける。

 同室の人は今日は朝から出かけているらしい。出かけている?外出は普通に許可を取ればできるそうで、その彼女は週末や祝日になると、家族がやってきて、買い物などに数時間行くらしい。

 入ってくる風は、まだ随分と夏の匂いが残っている。少し重たくて、でも爽やかだ。二人でビールを開けて、缶のままのむ。乾杯はない。病室でビールを飲むことに多少の罪悪感を感じたが、彼女は平気なようだった。

「いつ以来?ビールは」

「1ヶ月くらいかな。8月のお盆に友達が来た時に、ビールとワインを持ってきてくれて、一緒に飲んだ」

「お酒なんて飲んでいいの?」

「もちろんダメだけど、別に良くない?少しはお酒でも飲まないと、こんなところにいることで頭がおかしくなるよ」

「まあ僕には無理だな」

「私だって無理よ。いい加減もう出たい」

 

 その日の午後、彼女はビールを3本飲んだ。ポテトチップスも1袋ほとんど彼女が食べた。だんだんと僕は話すことがなくなったので、彼女が一方的に話をしていた。特に新しく立ち上げた会社のことは結構詳しく話をしてくれた。店長として取り組んでくれている子が学生時代の友人で、彼女がしっかりしてくれているから助かっているということだった。男性関係の話については彼女から触れることはなかったし、僕も聞きたいとも思わなかった。

 15時を回り、そろそろ帰るよと言う。ビールの空き缶をビニール袋に入れ自分のカバンに詰める。

「また来てくれる?」

「メールするよ」

僕は、軽く左手を上げる。

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