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40歳のラブレター(3)消極的な選択

  • 執筆者の写真: いのきち
    いのきち
  • 2024年12月28日
  • 読了時間: 2分

40歳のラブレター


 車で送迎をするという時間を除けば、僕と彼女が二人で話をしたり、一緒にいるような場面はそれほど多くはなかった。あまりなかったというよりは、ほぼゼロに等しいのではないかと思う。どちらかといえば、彼女は意図的に僕とは違うテーブルに座り、僕とは違う人たちのグループにいるように思えた。飲み会の時はそもそも交わることのない戦いをしていたし(僕らは、飲み会の都度裸になって踊っていた)、お昼ご飯を二人で食べにいくようなこともなかった。


 そういう状態について、彼女がどのように考えているのか、なかなか僕の心では察することができなかった。僕は僕で、明確に彼女のことを好きだと意識し始め、できることならばより密接に過ごす時間をたくさん欲っするようになっていて、特別な関係になりたいと思えば思うほど、彼女の取る行動の1つ1つに、その行動の示す意味に敏感になっていった。誰のテーブルに座っているのか、誰とよく話しているのか、グラウンドでは誰とよく接しているのかなどなど。そうして、帰り道は一緒に車に乗って家まで送っていく。


 何度も何度も、頭の中ではイメージをした。もし僕がここで告白をしたらどうなるか。好きだと言って、彼女はそれにどう反応するだろう。もしも彼女が僕の思いを受け止めることができなければ、僕は今の毎日を失うことになる。彼女と一緒に車に乗り、街の風を切り、夜のボウリング場へいき、朝の河川敷へ眠たい都心を走り抜ける、そういう全ては失うことになるだろう。そう考えると、彼女との時間のない日々を考えると、そこに浮かぶのは、空っぽな胃のような毎日しか浮かんでこなかった。何もない、代わりに胃酸のような苦々しい液体が僕の体をずり上がってくる。


 それは避けたい、そういう毎日にはなりたくない、強くそう感じ、そうすると僕はどうしていいかわからなくなっていった。どうしていいかわからないから、それを言い訳に、自分への言い訳にして、同じような日々を重ねていくことを、消極的に選択していった。



 彼女が1年生の時の夏から冬くらいの間、僕はずっとこんなことを思い続けながら、彼女を助手席に乗せ、みんなと合流をし、宴の後は、彼女を家まで送っていった。何回も、思い切って僕の思いを伝えてみようと思ったことがあって、でもその度に思いとどまってきた。頭ではうまくいかないのだろうな、と感じるところがあって、でも内臓はそのことを承知していないくて、反乱を起こそうとしていた。でもまだこの時期は、僕の中の反乱分子は散発的な登場だった。



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