猫人 (1)
- いのきち
- 1月24日
- 読了時間: 5分

高校1年生の秋に初めてのデートをした。
僕は今も昔も、女性から積極的に好意を持たれるようなタイプの男子ではない。背丈は標準的で体は少しずんぐり体型で、顔は不用意に大きく、目と目の間が異様に離れている。勉強はそこそこできるけれど、だからと言ってそれ自体を誇れるほどでもないし、スポーツもそれなりにできるが、周りの人が賞賛するようなレベルでもない。それは僕も知っているし、周りの人も知っている。だからと言って、世の中の女の子から見向きもされないのかといえば、そういうわけでもなくて(小学生の頃はバレンタインにチョコレートをもらったこともある)、要は、女子の恋愛対象としては、特に目立った存在ではない男子だった。
だから、男子校のラグビー部の僕には、そんなにたくさん女子と出会う機会があったわけではなく、多くの男子校生徒がそうであるように、女の子と出会うには秋の文化祭が1年の中で最大のチャンスということになる。
僕や部活の友達も、なんとかそこで出会いたいを得たいと思い、夏の終わりくらいからあれこれ考える。誰かの中学の時の友達の女子が4人でくるから、その子達となんとか仲良くなろう、などと。部室とか部活の帰り道とかで連日作戦を練る。それが奏功してか、作戦とは全然関係ない流れだったけれど(往々にしてそんなものだ)、文化祭に来た同じ駅の女子校の子と、ふとしたきっかけで仲良くなり、信じられないような汗をかきながらデートに誘い、なんとか初めてのデートにこぎつけた。
通学の途中にある駅の映画館で映画を見て、近くのイタリアンレストランでピザとパスタとポテトを食べた。映画は「紅の豚」だった。「飛べない豚はただの豚さ」というフレーズが、ラグビー部の巨漢の友人のことを思い浮かべて「押せない豚はただの豚さ」と言い換えたら、とても喜んでくれた。
この近辺の高校生がよくいく店で、そんなに美味しいということではないけれども、高くもなくて、ピザ1枚とパスタ1皿で2時間以上いても特になんとも言われなかった。
「田中君はどうしてラグビー部に入ったの?」
慣れない手つきでフォークとスプーンを使ってパスタを巻きながら彼女は聞いてきた。僕が、中学の時は野球部で、高校からラグビーを始めたことは文化祭の時に話をしていた。
「野球じゃなくて、どうしてラグビーにしたのっかってこと?」
「そう」
僕は食べかけたピザをお皿に戻す。背の高い観葉植物の葉が右上で軽く揺れている。
「別に野球が嫌いになったんじゃないんだ」
少し間を置く。ペプシコーラをストローで一口流し込む。
「中学校の時は県大会に出て、県代表のセレクションにも呼ばれた。キャッチャーで最後の3名まで残ったし、高校に行っても野球をやるつもりだった。O高校には練習に行って推薦ももらったんだ」
「でも、偏差値的に低い学校にはいきたくなくて、東京のW高校なら甲子園にもよくいくし、いいかなと思った。一般受験して、合格して、それで練習にも行ってきたんだ」
彼女もスプーンとフォークを置く。
「合格したの?W高校。すごいじゃん」
「まあ、勉強はそれなりにできるから。そこは」
「で、練習に行った時に、身体検査があって、みんなそれを練習後に受けるんだけど、終わった後先生から呼ばれて、一人だけ医務室に行って、写真を見せられた。ここの骨がおかしいと言われ、右肩の写真見せられた。”このまま野球続けると肩がおかしくなる”と言われた。だから、まず手術をしたほうがいい、うちで野球やるならまず手術をしよう”って言われた」
「手術自体は簡単だけど、筋肉が戻ったりするまでに半年ぐらいかかるって言われて、僕はその時、正直、目の前が真っ暗になった。ああ、僕は野球できないんだ、半年も。半年も野球やらなかったら、その半年の間に、今日来ていたみんなはどんどん上手くなっていく。みんな今でもむっちゃうまくて、半年も休んでいたら、絶対ついていけなくなる、って思った」
少し早口になる。
「なんか、頭をトンカチでガツンとやられたようで、何にも考えられなくなって、その日の帰りは、電車乗り過ごして終点まで行ってしまって」
「で、その乗り過ごした帰りの電車で、野球は辞めよう、と思ったんだ。バカだったかなとも思うんだけどね、今は。でも、その時は、それ以外に選択肢はないと思った。野球やらないんなら、わざわざそんな遠い学校いく必要もないので、地元の今の学校にしたんだ」
彼女は何と言っていいかわからなかったんだろうと思う。微妙に何回か頷きながら、僕の話の続きを待っている。
僕はそのまま続ける。ペプシをもう一口流し込む。
「ラグビーは中学校の頃に大学の早明戦を見たときにすごく面白いと思った。早稲田がラスト2分くらいで12点差を追いついて引き分けた試合なんだけど、それで、中学校の時も休み時間とか掃除の時とかに、雑巾をボールにしてタックルとかやっていて、機会があればプレーしてみたいとは思っていて、野球やらないんだったらラグビーやろうというのはすぐに思った。それに、なんの根拠もないけど、多分向いているだろうなとも思っていた、なんとなく。だから、高校に入ったら、他の部活には体験とかも行かずに、すぐにラグビー部に入ったんだ」
「野球部には行ってみたなかったの?」
「うちの野球部はダメだよ。甲子園とかは別世界だから。やるなら、全国に行きたい、それを本気で目指したいし、目指しているところでやりたい、それはラグビーも同じ」
「ラグビーにも甲子園があるの?」
「全国大会は、大阪の花園っていうところでやるんだ。野球の甲子園のような存在だね。花園は」
「そうなんだ。そんな感じだったんだ。なんか、ちょっと劇的ね、よくわからないことだらけだけど」
僕は先ほど食べかけのピザをもう一度口に運ぶ。ピザはあと2ピース残っている。
「もう一つもあげる。お腹いっぱい」
彼女はそう言って最後のピザを僕のお皿にのせる。
「いっぱい食べたほうがいいんでしょ、ラグビー。大きい人ばっかりだったもの。じゃんじゃん食べないと」
僕はちょっとだけ頷く。
「ありがとう」
レストランを出たのは18時前。10月の風はまだ夏の匂いが混じっていて、ジーパンに半袖のシャツでちょうど良い。近くの駅まで歩いて、明日の電車の時間と場所を決めて、1駅一緒に乗って、彼女とは別れた。
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